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2011年

2012年

2010年12月30日(木)
 年の瀬
 寒波が近づいているため、朝から気温が低い。予報では、徳島県も明日から積雪が見込まれている。

 本日午前9時から、田上地区集会所及び観音堂内外の大掃除が行われた。昨年同様に集会所内部の清掃を行い、屋外では脚立を使用して雨樋の中に積もった落ち葉などを取り除いた。、観音堂では、内部に溜まった埃をブロワーで吹き飛ばしたり、屋根周辺の蜘蛛の巣などを取り除いた。
 今年は従来行われていなかった排水溝のマスの清掃も行い、錆び付いた排水溝の蓋をこじ開け長年にわたって溜まった内部の泥を取り出した。清掃作業は午前10時過ぎには終了、一旦解散し、残った地区の有志らによって餅つきが行われた。

 田上地区でも昭和30年代初頭までは杵と臼を使っての餅つきが行われていたが、その後は機械による餅つきへと移っていったため、手つきによる餅つきは、長い間行われていない。途中から雨に見舞われたが、およそ1時間半かかって一斗の餅をつき終えた後、集会所で恒例の飲み会が開かれ5時半頃に解散した。
2010年12月23日(木) 天皇誕生日
 元気の元
 写真は東田上の本屋敷の山で出会ったNさん(84歳)。今も現役で山仕事をしている。今日は、シイタケの原木栽培用のクヌギを伐採するため、曽川家の山に下調べにやって来た。
 何十年にも わたって山仕事を続けてきたが、その間には チェーンソウで大怪我をするなど危険な目にもあったらしい。それにしても84歳というと、宇民さんより更に4歳も年上になる。
 その 元気の元 を尋ねたら「ずっと仕事を続けていること」と言う答えが返ってきた。山仕事が好きで、全く苦にならないと言う。 ちなみに喜寿は7年前に通過した。
2010年12月18日(土)
 受付嬢
 車のスペアキーを作ってもらうために立ち寄った、拝原にある車屋さんのショールームのカウンター脇に一匹のメス猫が座っていた。この受付嬢、いつもは客に対しても知らんぷりだが、気分が良ければ、か細い声で 「いらっしゃいませ」 と言う。
 そうは言っても、もちろん、猫語で あるから、それを理解できない者には解らないだろうネww
2010年12月15日(水)
 軽~い御輿と「3バカ大将」
 「3バカ大将」「テケテケおじさん」と言えば、昭和30年代、日本のTV放送の黎明期に放映されていた番組で、元はどちらもアメリカのテレビドラマだ。とくにマヌケな3人組、ラリー、モー、カーリーが毎回繰り広げるドタバタ劇「3バカ大将」は今でもタイトルミュージックまで脳裏に焼き付いている。

 それはさておき、今、最も旬な「3バカ大将」と言えば、そりゃぁ、もちろん誰がなんと言おうが、仙石、前原、岡田であることは間違いない。で、この「3バカ大将」が担いでいる御輿だが、これがまた軽い。それもそのはず、御輿の中に祀られた御神体空きカンなのだから当然と言えば当然だ。それにしてもこの軽さは、きっとアルミ缶だなww。
 この「3バカ大将」が担ぐ軽すぎる御輿、フラフラとまるで、制御機能を失った墜落寸前の航空機がダッチロールをしているような状態に陥っている。ここまで来れば、ひと思いに墜落してしまえばすっきりするのだが、またしても小沢一郎をダシにして生き延びようとしている。
 それにしても、この政党が与党に成り得たのも元はと言えば小沢の力であり、さらに下降気味であった支持率を一時的に上向かせたのも脱小沢と言うカンフル剤であった。そして今回、下がりきった内閣支持率に対するカンフル剤として、またしても小沢を利用しようとしている。この政権は所詮、全てが小沢頼りなのだ。
 しかし、国民をナメてはいけない。同じ手が何度も通用するほど甘くはない。 
2010年11月27日(土)
 東田上観音堂の秋
 見事に紅葉した東田上観音堂の銀杏。強い風が吹くとあっという間に散ってしまう可能性もあるので来週半ば位までの数日間が見頃だろう。

 もっとも、落葉した黄金色の葉が樹の下の地面を覆っているのも景色としては悪くない。
 いずれにしても晴れて青空の見える日の午前中が絵になる。

 (本日、午前9時15分撮影)
2010年11月19日(金)
 開いた口が塞がらない
 もしかして仙谷? いえいえ当サイトではあくまで仙石健忘長官のお話デスww

 さて、先日の国会答弁で問題となった《暴力装置》発言、政治学や社会学など学問の世界では普通に使われる用語だが、暴力という言葉の語感が誤解を招きやすいということからだろうか、実社会ではあまり使われない。
 この言葉、マックス・ウェーバーが最初に使い始めたと言われ、1970年代には左翼系学生が使っていたことがあるようです。

 それにしても、野党からの格好の攻撃ネタを次々に提供し続けるカン内閣の閣僚たちには、全く頭が下がります。ww
2010年11月17日(水)
 観音霊場巡り
 朝方は曇っていて、冴えない天候であったが、昼頃からは持ち直し、所々に青空も見えるようになってきた。今日は、春秋に行われている観音霊場巡りの日だ。
 午後1時過ぎに、東林寺の住職に先導された10人程が東田上観音堂へ立ち寄り、お茶やお菓子の接待を受け休憩した後、いつもの通り西田上の眞楽寺へと向かった。一行の御接待を済ませた後、観音堂内では地区の高齢者によって毎月恒例の観音講が開かれたが、今日は、病院への通院日と重なったりして来られない人が多く、参加者はいつもより少なかった。
2010年11月9日(火)
 これがホントの猫車
これがホントの猫車
 ところで昨日のエントリーは、タイトルに惹かれたのか●●市の職員さんにも好評だったようで、お仕事中にも関わらず いつもより多くのアクセスを頂きました。お礼を申し上げますww

 このHPは約2年前より市のHPから相互リンクされていたのだが、このエントリーが気に入らないとクレームをつけたバカがいたようで、本日をもって相互リンク解除しました。市のHPリンクからのアクセスは99パーセントが市職員であったため、本当に外部からのクレームだったかどうかは疑わしいが、あらいちゃんがそう言うのだから、まぁ、そうなんでしょ。

 職員の方々も、今度からはお気に入りに登録して今まで通りアクセスしてちょうだいね!ということですww
2010年11月8日(月)
 モザイク無しの 【 ウラビデオ 】 
 尖閣というより、仙石隠し通そうとしていた【仙 隠 ウラビデオ】が次々に流出し公開されているようで、実にイイ傾向だ。内部からの流出だとすれば、日本の公務員もどうして なかなか棄てたものではない。そもそも、ポット出の法螺吹き政党の素人政治屋レベルが、国民の目から事実を覆い隠そうなんてカン違いも甚だしいトンでもないことなのだ。
 政府は映像の流出が内部からのものであれば国家公務員法違反だ等とふざけたことを言っているようだが、そもそも、これは内部告発なのだ。中国の圧力に屈し、那覇地検に責任を押しつけた上で船長を解放したりと全く場当たり的なやり方に対する反旗とみるべきだろう。
 権力とは所詮そんなモノと言ってしまえばおしまいだが、嘗て、内部告発を推奨していた政党が与党になった途端に、自分たちに都合の悪いことがあると豹変するのにはがっかりさせられる。
 それにしても仙石さんは以前、胃癌を患っていたことがあるようだが、皮肉なことに、今では、彼の存在そのものが日本の癌となってしまっている。なんて大それたコトはこれっぽっちも思っていないが、まぁ、仮にそう思ったとしても決して口には出せませんwww。
2010年11月7日(日)  午前8~8:50
 市内一斉清掃
 今日は脇町地区の市内一斉清掃の日だ。清掃の後には昨年同様に、自主防災訓練も行われることになっている。あいにくの小雨交じりの中、午前8時前から東西田上地区の人たちが地区内の道路脇などに棄てられているゴミ拾いを行った。

 回収されたゴミは田上下の集積所へ持ち寄り、可燃ゴミ、不燃ゴミ、空き缶、プラスティックやペットボトルなどに選別した。本来は空き缶はもちろん、プラスティックやペットボトルなどは、資源ゴミとして再利用されるのだが、それには内部の洗浄などを行っていることが前提であるため、これらの汚れたゴミは結局、可燃ゴミや不燃ゴミとして処理されることになるのだろう。
 清掃作業は、午前8時50分に終了し、一旦解散し、一時間後に西田上の眞楽寺の側で自主防災訓練が予定されている。
2010年11月7日(日)  午前10~11:20
 自主防災訓練 (西田上)
 午前10時に眞楽寺側に地区の人たちが集まり、美馬市の消防職員ら数名の指導による自主防災訓練が行われた。時々霧雨程度の雨が降りはしたが、幸いにも大雨にはならなかった。昨年の東田上での訓練の日も冴えない天候下であった。

 用意されたパンフレットなどを元にした防災上の注意点などの説明のあと、、防火水槽上に設けられた格納庫から消防ホースを取り出し接続し水栓を開けて実際に放水を行った。水栓の開け方や、アダプターの取り付け方などの詳しい説明もされたが、一番近くで最も熱心に聞いていたのは、新田さんちのコロだったww。
 訓練はおよそ1時間位で終了し解散した。
2010年10月29日(金)
 仙石2時50分
 あれほど、企業献金は廃止などと言っておきながら、資金不足を回避するためなどと称し、条件付きで企業献金を受けるなどと言いだした民主党。この法螺吹き政党にとってマニフェストとはいったい何なのだろう。空き缶首相に代わって今や影の総理とまで言われるようになったこのヒトに是非聞いてみたいものだww →→→クリック      (画像のソースはこちら
2010年10月22日(金)
 秋の夜空
 ハートレー第2彗星が地球に接近しているというので撮影を試みたが、月明かりや雲のため観測条件に恵まれず、残念ながら撮影出来なかった。
 写真はアンドロメダ大銀河。230万光年先にあるこの天体は肉眼でも見ることが可能で、中心には超巨大なブラックホールが存在するという。
 (APS-C デジタル 50㎜ F1.2  ISO 3200 6秒)
    (10月17日20時35分撮影)
2010年10月18日(月)
 日溜まり (東田上)
 10月も半ばを過ぎ、次第に秋も深まり、朝夕の気温が肌寒く感じるようになってきた。
 写真は、思い思いの格好で日向ぼっこをしながら道端でタムロする吉村家の猫たち。(本日午前9時33分撮影)
2010年10月15日(金)
 収穫作業 (バインダーによる稲刈り)→(天日干し)→(ハーベスターによる脱穀)
 本日の夕方、宇民家のモチ米の脱穀作業が行われた。この田は、10月2日にバインダーで稲刈りを済ませ、天日干しによる乾燥を行っていた。
 夏場には僅か3~4日で乾いたものが、今の時期では、籾の水分含有量が14%台に下がるまでに2週間近くかかった。
 脱穀はハーベスターを使用したが、コンバインが主流となった今では、宇民家でもハーベスターの出番は唯一、この田だけになってしまった。
2010年10月8日(金)
 曼珠沙華 (美馬市脇町)
 昨日の午後、彼岸花(曼珠沙華)がまとまって咲いている所があるということで、現地まで案内してもらった。曼珠沙華は、嘗ては田上地区でもよく見られたが最近では、少なくなってきている。西田上にある眞楽寺では、裏山の斜面を曼珠沙華の花で満たそうというような計画があると聞いたことがある。
 写真は、美馬市脇町の土井辺りの水田地帯に咲く曼珠沙華。今年は猛暑の影響からか開化は遅かったようだが、今の時期ともなると、さすがにピークを過ぎていた。
2010年10月7日(木)
 祭りの準備 (東田上)
 八幡神社の秋祭りを3日後に控えた今日、東田上観音堂の外れに幟(のぼり)が立てられた。
 ここの幟立て作業は、東田上地区の西の班の人たちが毎年交替で行っていて、今回は西の班長に当たっている曽川幸市さんが行なった。
 東の班では、もう随分と前から宇民さんが立ててくれている。

(写真は幟の近くにある 溜め池で花を咲かせたホテイアオイ)
2010年10月4日(月)
 樹齢100年 (田上地区)  
 田上地区のゴミ集積所近くで大きな欅(ケヤキ)の伐採が行われていた。車で通りかかった時には太い幹は既に切り出されていて、残った太めの枝などの処理の最中だった。
 伐採をしていた作業員の話では、樹齢はおよそ100年だそうで、明治の末期頃からここに根を下ろしていたということになる。
 (本日午前10時40分撮影)
2010年10月3日(日)
 雨の日曜日 (祭りの準備)
 天気予報どおりに未明から天候が崩れ、雨模様の一日となった。10月の第二日曜の秋祭りを一週間後に控え、東田上地区では雨の降る中、地区内の清掃を行った。西田上地区は昨日に済ませたようだ。

 東田上地区では、昨年までは班毎にそれぞれ行なってきたが、従来、東の班のみで行っていた市道、脇町185号沿いの草刈りなどを今春から地区全体で行うことにしたということもあって、今回は同時に行うことにしたのだ。市道、脇町185号線の草刈りや、ホウキを使った東田上地区内の主要道脇の清掃などを行い、午前8時頃に始めた作業は9時30分頃には全て終了し集会所ヘ集まった。

 この日、八幡神社の田上地区総代が藤本吉雄さんから桜間昇さんへと引き継がれた。この後、東田上地区内で戸数が歪な形で3つに分かれている班の組み替えや、統合についての話が出たが、全員に周知了解してもらう必要があると言うことで、この件は今後に持ち越されたが、草刈り作業に関しては、班の垣根を越えて全体で行う方針が再確認された。

 休憩を兼ねた会合はおよそ1時間で終了し解散したが、引き続き呑兵衛たちによる酒盛りが開かれ、午後3時頃からだんだんと引き上げる人が出る中、最終的に午後6時まで居残ったのは、毎度のことながら、もちろん例の3人組だ。
2010年9月26日(日)
 美馬町妙見 (ねぼけ堂 界隈)
 写真は美馬町妙見の旧道沿いにある菓子店(ねぼけ堂)の近くである。ここの煎餅は人気があり、かなり遠くから買いに来る客もいるようだ。店の裏の脇道をほんの少し歩くと吉野川堤防に行き着く。堤防の直ぐ手前には神社があり、建物の周りには工事用の鉄製の足場が組まれていた。        (9月22日午後4時頃に撮影)
2010年9月25日(土)
 ゲゲゲ・完
 NHKの人気朝ドラ【ゲゲゲの女房】が最終回をむかえた。NHKの朝のドラマとしては、久々のヒット作ということで、私の周囲でも視聴していた人は多かった。

 実在の人物を描いていることが、過剰な演出などを抑制することにつながったのかどうかは分からないが、このドラマは、最近の朝ドラにありがちなドタバタした演出が無かったため落ち着いた気分で見ることが出来た。
2010年9月24日(金)
 まっくろくろすけ
 写真の建物は美馬市役所脇町庁舎である。用事で立ち寄ったところ、駐車場の隅の階段の植え込み辺りからミャーミャーと子猫の鳴く声が聞こえ、生後1~2カ月位と思われる一匹の黒猫が出てきた。ミャーミャーとしきりに鳴くため、気になるのか市職員も ときおり窓越しにちらちらと覗いている。
 職員の話では、猫は今朝から居るようで、誰かが駐車場へ棄てていったらしい。人懐っこい猫で近寄ると側まで寄ってくる。いつまでいるかは分からないが猫好きな人は行ってみるとよい。   (本日午後1時30分撮影)
2010年9月20日(月)
 路肩補強工事 (美馬市脇町東田上)
工事現場
 写真は東田上から本屋敷へと続いている道である。この場所は民家の直ぐ裏になり、路肩斜面は切り崩したままの状態のため、長い間に少しずつ崩落が進んでいた。道の地下には導水パイプが通っていて、山の斜面に設置された地区の上水道貯水槽へと通じている。
 今回の工事は、路肩のこれ以上の崩落を防ぎ、地中に埋設された導水パイプを保護することを主目的とし、9月初旬から およそ2週間に わたって行われた。
2010年9月19日(日)
 収穫の季節 (西田上地区)
曽川家の稲刈り  猛暑も少し和らぎ、過ごしやすくなってきた。

 今日午前、曽川家の西田上にある田の稲刈りが行われた。この田は昨年に引き続き今年もイノシシに侵入され、稲が踏み倒される被害を受けている。
 ところで、写真のコンバインは購入したばかりの新品で、使用するのは今日が初めてだ。午前9時過ぎ、現地まで同行した販売店の人から説明を受けながらの作業となった。
 誰が言いだしたか知らないが、【新しい農機具の購入気運】と言うモノは伝染すると聞いたことがある。まぁ、隣が便利な機械を使い始めると自分の家でも欲しいと思うのは当然だろう。
 昨年は、宇民家でも、新型コンバインを導入し、今回、曽川家でも買い換えたとなると、次に気になるのは人一倍機械好きのハチマキおじさんの動向だ。と言うワケで当分目が離せない。なんてネww
2010年9月18日(土)
 消えたねんきん
消えたねんきん(ススホコリ)
 写真は昨日の午前、東田上の雑木林の中で出会った粘菌(変形菌)である。サイズは30センチ弱で鮮やかなオレンジ色をしていた。
 ところで、あえて《出会った》と言うのにはそれなりのワケがある。変形菌は動物的性質と植物的な性質の両方を併せ持っていて、ゆっくりだが動き回るのだ。そのためか、今日の午前、再び同じ場所に行ってみたが、全く跡形も無くなく消えてしまっていた。あまり目に触れない謎の多い生物ではあるが、実際には特別に珍しいというほどのものではないらしい。また、オートミールなどの餌を与えて飼う(培養する)ことも出来るそうだ。

 (写真はススホコリとおもわれる変形菌、昨日午前9時16分撮影)
2010年9月14日(火)
 空きカン回収日 (美馬市)
 本日、美馬市では、月に一度の空きカン回収日になっている。クズ鉄や、(銅、アルミ)などの非鉄金属の買い取り価格は一時ほどではないが、今でも底堅く推移している。そのためか、自治体の収集日に先回りして空きカンを持ち去る者が各地で問題になっている。
 空きカンなどの資源ゴミ売却益は、自治体の収入になるため、条例を制定して罰則を明確化するなどの対抗策をとるところも出始めている。
 田上地区でも空きカン回収日の早朝に、荷台の周囲にベニヤ板を立てた怪しいトラックが出没し、空きカンの入ったビニール袋だけを素早く持ち去っているのが何度か目撃されている。昨年の8月16日に地区集会所で開かれた【資源ゴミの持ち去り防止対策の説明会】の直後から、警告板(写真右)が設置されてはいるが、事前の予想通り、全く効果は出ていない。

 さて、資源ゴミと言えば、本日午後、民主党でも中身のない空きカンの再利用が決定したようだ。コレについては あの美馬温泉の爺サマが何と言うか是非聞いてみたいものだ・・・
 まぁ、何はともあれ一件落着、メデタシ、メデタシwww。
2010年9月9日(木)
 昨年に続き、今年も・・・
 このポスターは、あの《 変なおじさん》が頻繁に目撃されている東田上の観音堂近くの通称《マルヘン・スポット》で見かけたモノ。

 コワモテの男たちが登場する 第42回全日本空手道選手権大会が(2010ー10/30~10/31)の2日間 東京体育館で開催されるんだそうです。

 ポスターには、坊主頭の むさ苦しい男たちに混じって、女子選手の顔も載っているようだが、特に右から2番目の選手、こちらも男子に負けず見事なガンタレ顔で睨んでマス。コワイ、コワイww

   (注)左の写真をクリックしても大きくなりましぇん。
2010年9月1日(水)
 資源ゴミ
 民主党の代表選はついに、菅直人小沢一郎の直接決戦となった。

 今回の代表選は言ってみれば、
クリーンなイメージだが、ほとんど何も期待出来ない菅ダーティーなイメージだが、何かやってくれそうな気がしないでもない小沢という構図であり、国民にとってはなんだか、究極の選択みたいなことになってしまった。

 で、こういう話題になると、あの美馬温泉の爺サマだ。

「政治家はよォ。そりゃ、クリーンに こしたこたぁねえよ。でもよォ、掃除機じゃあるめーし、クリーンなだけってのもドーかねェ?政治家っつーもんは結局、何をやってくれるかってことがデエジ(大事)なワケよ。死んじまったヒトの悪口ゃ言いたかねェが、あの角栄さんに対する三木さんがイイ例じゃねーか?。そーだろ!」

 どうやら、爺サマは地元への利益誘導を望む古いタイプのヒトらしいww.

 今回の代表選は、民主党の議員や党員サポーターたちの投票により、9月14日に結果が出る。それまでの2週間は、あーだこーだと酒の肴に出来るワケだ。

 ところで9月14日(火)と言えば、美馬市では資源ゴミの回収日空きカンの回収日になっている。 さて今回、民主党のカンは再利用されるのか、それとも潰されたままになってしまうのだろうかww。
 ま、どっちでもイイんだけどネ。
2010年8月29日(日)
 宇民家の稲刈り作業
 今日、午前8時頃から宇民家のハナエチゼンの稲刈り作業が行われた。作業に先立っては田の周囲に張られたイノシシ除けのトタン版や杭を取り除く必要があり、イノシシの来なかった昨年より余分な手間が増えた。
 今年から、この田も昨年導入した新型コンバインを使っての作業となったが、山間部の田は不規則な形状のため、平地の田と違って手作業による部分も多く作業効率は良くない。2枚の田の刈り取り作業は昼頃に終了し、乾燥作業に入った。
2010年8月27日(金)
 脱穀作業
 この田は、宇民さんの協力のもと、化学肥料を一切使わず、更に完全無農薬による稲作を試みたもので今年で3年目になる。稲種は早生種のハナエチゼンである。
 作付け面積が狭いため、当然、収穫量も少なく昔ながらの天日干しによる乾燥を行ない、本日夕方、ハーベスターによる脱穀作業を済ませた。

 秋季と違って、今の時期は驚くほど乾燥が早い。特に今年は連日33度を上回る猛暑ということもあって、8月24日午前に稲刈りを行ってから、僅か3日で脱穀作業が可能になった。

(稲刈りから脱穀までの期間における稲籾の水分含有量実測値の推移は左に示した通りである。)
田植え 稲刈り →→天日干し→→ 脱穀
5月19日 8月24日朝 8月25日 8月26日 8月27日夕方
測定時刻 PM6 PM5:45 PM5:45 PM5:30
水分量 22.4 17.2 14.3 12.1
2010年8月26日(木)
 ささやかな需要 (東田上)
 桑の枝の刈り取り作業である。当然のことだが、今では、蚕の餌にするためではない。桑の木は養蚕業が廃れてからは至る所で厄介者と化している。そんな桑だが量は多くないものの、健康食品として桑の葉を原料としたをつくるための材料としての需要が有るらしい。
 古くから桑の樹根皮は、桑白皮(ソウハクヒ)と呼ばれ、漢方薬の材料(生薬)として用いられている。その桑の葉を用いているということで桑茶も健康食品としての商品イメージには大いにプラスに働いているのだろう。
   (写真は金平久太郎さん、本日午前8時33分撮影)
2010年8月21日(土)
 遠 景 (東田上からの眺め)
 東田上地区は吉野川の河岸段丘上につくられた集落であるため、眺望が良い。旧脇町はもちろん、晴れた日には かなり遠くまで見渡せる。
 遠景になると山々の間に雲などが無い場合、重なりが分からず、ほとんど一体化して見えてしまう。
 写真は、東田上の本屋敷辺りから吉野川の南岸方面を写したもの。方角は剣山方面になると思うが、正確な山の名前は分からない。
 (8月9日 午前7時26分撮影)
(APS-Cデジタル300ミリ※35ミリフルサイズ換算値 トリミング) 
遠景
2010年8月16日(月)
 真夜中の変おじさんww
真夜中の変なおじさん  時刻は午前3時過ぎ。夜間に水田にやって来るイノシシを撮影しようと見回りをしていたところ、なんだか見るからに怪しい人影が目に入った。
 パンツ姿で、右手には短く白っぽい棒状のモノを握りしめている。
 以前はよく見かけたが、ここしばらく姿を見せなかったあの変なおじさんだ。
2010年8月11日(水)
 夏の夜 (美馬市 花火大会)
ドーンと鳴った花火だ、キレイだな!
 今日は、美馬市の花火大会の日だ。あいにく夕方から天候が崩れ、花火の打ち上げ時間帯(午後8時~8時50分)には、時折、大粒の雨が降り、傘を差しての花火見物となった。観音堂周辺では昨年同様に、花火開始の一時間前から呑兵衛たちを中心として多くの人たちが集まって賑わっていた。
 東田上では、上の写真の撮影地である宇民家の前辺りも、観音堂よりも高い位置であるため、眺望がよく、毎年ここへ花火を見に来ている人たちもいる。
2010年8月4日(水)
 2年続けてポンと100万
 【制度改革フォーラム】なんて言う政治団体があるんだそうです。

 私は政治に疎いもんでだれがやっているんだか知らないんだがww。

 で、まぁ、コレとかコレを見ると、やっぱりお医者さんは金持ちですなぁ!というだけの話ですww。
2010年8月1日(日)
 田上地区一斉草刈り
 今日(8月の第一日曜日)は、田上地区の一斉草刈りの日だ。午前7時30分に、田上下へ集まり、新町橋まで続く堤防沿いの道の両脇に生えた草刈りを済ませた後、西田上の岩倉城址へ移動した。田上地区では5月末にも一度草刈りを行ってはいるが、梅雨時期を挟んだこの2カ月の間に再び大量の草が茂っている。城山での草刈りと休憩を終え、午前9時40分に東田上地区と西田上地区に分かれ、それぞれの地区内の草刈りを開始した。
 
 東田上地区では、昨年まで東の班のみで行っていた市道、脇町185号沿いの草刈りを、今年から地区全体で行うことになり、集会所周辺からの区間を手分けして作業を行った。185号沿いの最難関であるコンクリート壁上部の斜面の草刈りは、田上地区の若手のホープ、照チャンと幸チャンの二人が壁の上部へ登って鎌や草刈り機を使い分け、刈り上げた。手間のかかる ここでの作業を終え、集会所へ移動した時には午後1時前になっていた。

 先に帰った人たちを除いて、およそ10人が用意された軽食と共にビールや焼酎で午後のひとときを過ごした。3時~5時にかけて少しずつ、人数が減ってゆき、最期まで残ったのは、前自治会長以下お決まりの3名で、彼らが集会所を出たときには既に午後7時になっていましたとさwww。メデタシ、メデタシ。

    さて、こちらは、大好評のマルキン・プロジェクトの第2弾。→→→クリック
2010年7月30日(金)
 冷 気
 ここ2~3日は、にわか雨などもあったりして、多少マシではあるが、それでも連日、暑い日が続いている。今日の午前、久しぶりに東田上東部の焼き場谷へ行ってみた。
 ここへ来るのは昨年の11月20日以来であるから8カ月ぶりになる。谷に面した市道、脇町185号から ほんの少し入っただけで、別世界のように ひんやりとした空気に包まれる。ヤブ蚊なども少しはいるが、思ったよりは少ないため、涼しさが心地よい。

 焼き場谷と言う呼び名は、昔ここに、火葬場があったことに由来している。ところで、この谷を一人で歩いていると、ふと背後に気配を感じることがある。もちろん、後ろには誰も居ないはずなのだが・・・なんてネ www
2010年7月27日(火)
 TV放送のお知らせ
 先月、何回かに渡って宇民さん筒井さんのククリ罠によるイノシシの有害捕獲を取材していたTV番組が放送されます。下記番組の一部として放送される予定です。放送時間は短時間だと思われます。残念なことに、当地(徳島県)では放送されていませんが、視聴可能な環境にある方は観ておいてください。
    テレビ東京 火曜エンタテイメント  2010年8月3日(火) 夜7時30分~夜8時54分
         タイトル    列島震撼!超キケン!!害獣&害虫ランキング        
 人間の生活を脅かし我々を恐怖の渦に巻き込む超キケンな生物をランキング形式で紹介。シロアリ、スズメバチ等危険生物と激しい戦いを続ける人々に密着、熱き戦いを追う。
2010年7月16日(金)
 梅雨明け近し
 写真は黒北にある東田上地区の水源地近くの砂防ダムの上である。ここには、ずいぶん前から市内の養蜂業者によって蜜蜂の巣箱が置かれている。
 日本蜜蜂が減少しているという話は、以前からあったが、西洋蜜蜂も減っているらしい。クマが生息する地域では蜜蜂の巣箱を狙うこともあるようだが、クマのいないここでは、人間による被害が大きいようだ。巣箱を開けて中の蜜を盗ったり、ときには巣箱ごと持ち去られることもあるのだと言う。  (本日午前9時40分撮影)
2010年7月13日(火)
 樹木の力
 田上地区から黒北方面へ通っている市道、脇町182号沿いで見られる寸景。

 樹木の根が絡み合って空中にオーバーハングしたその上には直径20センチを越えるようなクヌギの木が生えている。見るからに不安定で、何時、落下しても不思議ではないように思えるのだが、もう何年も前からこのままの状態で妙に安定している。

 ここを見上げる度に、根を張った木々が、山の崩落を防いでくれていることを実感させられる。
 
2010年7月12日(月)
 ナミダ雨?
 今日は、朝から大粒の雨が、午前中降り続いた。一時期、かなりの豪雨になったが、午後になると少し晴れ間も見えた。

 ところで、昨日行われた参院選では与党が議席を減らし、野党が躍進するという結果に終わった。徳島県選挙区でも、民主が擁立した候補者が自民の若き候補者に敗退した。しかし、これは与党対野党というよりも候補者そのもののキャラクターによる勝敗だろう。
 一部では衆参での与野党のねじれ現象による混乱を懸念する声もある。だが、参議院の本来の存在意義を考えれば、衆議院の太鼓持ちになり下がるくらいなら、むしろ、ねじれの方が好ましい。ねじれ大いに結構だ!。

 「アテ(財源)のネェ、バラ撒きや でけもせん公約やら、大法螺吹っきょって政権の座に付いた途端、手のひら返しで、消費税の増税などと言い出すようなヤツ(民主)は信用でけん。そうは ゆうても、ズミン党もダメだし・・・困ったもんだ」

 と、先日、美馬温泉で居合わせた顔見知りの爺サマが嘆いておりましたwww。

   (写真は、雨のデレーケ堰堤  本日午前11時10分撮影)  こちらは昨年の夏のデレーケ堰堤→→→クリック
2010年7月7日(水)
 野次馬ポスター批評
 さすが、国政選挙ともなると、ポスターの写真の質やデザインの完成度が、市議選(田上情報局4月18日参照)とは圧倒的な差がある。
 市議選の場合は浮動票が少なく、ポスターを見て投票者を決めるということがあまりないためか ほとんどの候補者がポスターを重視していないようにも見える。もっとも市議選は個人レベルでの選挙という面があり、政党をバックにした候補者の多い国政選挙と同列には語れないが、それにしても市議選のポスターは写真、デザイン共に素人並の出来だった。
 それに比べて今回の参院選徳島県選挙区のポスターは、やはり完成度が高い。 
 その中でも幸福実現党の竹尾あけみ候補のポスターは、選挙ポスターにありがちな候補者名に大きなサイズの文字を使うという従来の方法から、あえて文字サイズを小さくし上品に仕上げている。

 共産党の古田もとのり候補と民主党の吉田ます子候補は名前に大きな赤文字を用いたオーソドックスなスタイルで無難にまとめている。
 自民党の中西祐介候補は若さを強調するあまり、写真のポーズにも工夫がみられるが、このヘヤースタイルでこのポーズに黒文字、、画面に書かれた《志》という文字と書体などの全体から受ける印象が好感をもたれるかどうかは微妙なところだ。

 この写真には載っていないが、無所属の豊川たかし候補のポスターは残念ながら背景の色やデザインも市議選レベルの出来にとどまっている。無所属と言うことで、他の候補者に比べて資金面などのハンディが大きいようで、未だポスターが貼られていない掲示板も見られる。
 公認問題を機に自民を離党し新党改革へ移った小池正勝候補のポスターは、ひらがなを用いてシンプルにまとめているが写真のポーズを含め新鮮味に欠け少々平凡に見えてしまう。

 ところで、今回の選挙ポスターをよく見てみると、やはり資金面での差によるものなのか、無所属の豊川氏と新党改革の小池氏のポスターのサイズが他の候補に比べて若干小さいことに気付く。国政選挙は浮動票も多く、ポスターの好感度やインパクトも重要だろう。
 まぁ、ポスターのインパクトと言うことでは、これに勝てるモノは誰もいないだろうww。→→→クリック

    (※ ここでは、各候補者のポスターの視覚的要素のみを対象にしています)
2010年7月6日(火)
 赤い食菌 (タマゴタケ)
 子供の頃、絵本などで赤い傘の上に白いトッピングをのせたようなキノコの絵や写真を見たことがあるだろう。
 あの美しいキノコは《 ベニテングタケ 》で有毒成分を含んでいる。ベニテングタケのイメージからか、一般には赤く派手なキノコは毒キノコだと言う先入観のようなモノが出来ているようだが、これは正しくない。また、虫が食うキノコは毒キノコではないなどというのも間違いである。
 さて、写真のキノコは横井出の山道に生えていた《 タマゴタケ 》である。有毒なモノの多いテングタケ科に属し、鮮やかな色をしているが、毒キノコではない。食べられるキノコであり、最近では通販なんかでも比較的安価で売られているが、キノコに詳しくない人にとっては、口にするのは やはり少し抵抗感があるだろう。
 タマゴタケも非常に寿命が短く、1~2日の間に幼菌から傘が開き、すぐに崩れてしまう。田上地区内でも時々見かけるが、数はあまり多くない。
2010年7月4日(日)
 路肩崩落 (美馬市脇町田上)
 田上地区から黒北方面へと続いている市道、脇町182号線である。

 この写真は、一昨日(7月2日)に撮影したモノであるが、6月27日時点で既に崩落していたことを確認している。
 その2日前から、長時間にわたって雨が降り続いていたので崩落が起きたのは、その頃ではなかろうか。

 今回崩落した箇所を残し、その前後の区間は、何年か前に崩落し、その後補修工事が行われている。この崩落は前回に崩落を免れた箇所であり、樹木が不安定な形で残っていて遅かれ早かれ崩れ落ちる運命にあった。
2010年7月3日(土)
 キノコの女王
 キヌガサタケである。昨日【2010-7-2】の徳島新聞の朝刊(地域面の【ローカル線】という覧)にも出ていたので見た人もいるだろう。
 キヌガサタケスッポンタケ科のキノコで、梅雨時期の竹藪などで見られる。
 キノコ本体の成長が極めて早いうえ、寿命も短く、すぐに崩れてしまう。そのためか、珍しいキノコでは無いにもかかわらずキレイな状態での本菌は意外と人目に触れにくいのかも知れない。
 私自身は、頻繁に山歩きをしているせいか、今の時期には ほぼ毎日何処かで見かけている。食べられるキノコであり、中国料理では高級食材としてスープの具などに利用にされていると言う。しかし、スッポンタケと同様に、キノコ先端の粘液(グレバ)が、強い腐臭を放つ。この臭いには、動物の死体に群がるシデムシなども引き寄せられるようで、倒されたキヌガサタケに集まった多くのベッコウヒラタシデムシを目撃したことがある。

 ところで徳島新聞の地域面に掲載されている【ローカル線】には、《変な形の野菜》などと共に《キノコネタ》も多く、オニフスベ(ホコリタケ科)キヌガサタケも季節ネタとして完全に定着しているようで、キヌガサタケは【2006-7-9】、【2008-6-8】にも採り上げられている。もっとも、この覧は読者からの話題提供によって創られていることから、「以前、新聞に載っていたあのキノコが家の近所に生えている。」と言うことで、繰り返し採り上げるようなことになっているのではなかろうか?などと勘ぐったりもしてしまうのだが、実際はどうなんだろう?
 いずれにしても、それほど珍しいモノではなく、ごく普通に見られるキノコであることは確かなのだが・・・。
2010年7月1日(木)
 -《ポッコリ腹を守る会》-
 最初に断っておくが、これは、いわゆる そのテのプレイルームの写真ではないww。実際の某病院の救急処置室である。横たわっているのは、知る人ぞ知るあの変なおじさんだ。

 今日の午前、アクシデントに見舞われ、ここでこうして救急の外科的処置を受けるハメになったのだが、幸いなことに命には別状無い。まぁ、それもそのはず、右手の指先を負傷しただけなんだから当然だww。しばらくは抗生剤を服用しながら通院治療となるらしい。しかし、困ったことに当分の間、アルコールを控えるように言い渡されたようで、驚いたことに本人も素直に従うつもりなのだ。

 う~ん、これはイカン!。変なおじさんと言えば、長年かけてビールや焼酎などで作り上げた見事なポッコリ腹の持ち主なのだが、アルコールを控えたりすると、あの見事なポッコリ腹が維持できなくなってしまう可能性が出てくるのだww。
 と言うワケで、ここで緊急提案!是非、飲み会をセッティングし、ポッコリ腹を守ろうではないかww。

  (本日午前8時46~51分撮影)
2010年6月27日(日)
 水景色
 午前9時前、横井出から黒北谷方面を歩いた。2日間に わたって降り続いた雨のため、谷川の水量も多く、少し濁っている。谷に沿った山道は水の流れる音が響いて、いつもより少しばかり賑やかだ。
 写真は黒北谷を通っている山道(市道、脇町182号線)である。ここより更に上の方では、以前から予想された箇所ではあるが、路肩の崩落も起きていた。
2010年6月27日(日)
 田上地区の貯水槽
 田上地区の上水道用の貯水槽である。水槽の裏は山を切り崩したままであるため土砂が崩れやすい状態になっている。ここでは、ちょうど1年前に土砂の除去工事を行ったばかりであるが、その後、再び崩落した土砂が溜まっていた。
 少し前から、この土砂の除去工事が行われ、更に崩落してくる土砂から剥き出しのパイプを保護するためのコンクリート製のカバーも新しく追加設置された。
2010年6月22日(火)
 イノシシ被害者へのインタビュー取材
 東田上東部の市道、脇町185号沿いにある郷司さんの麦畑は今年もイノシシによる被害で変わり果てた姿になっている。

 少し前からイノシシ駆除の取材で美馬市を訪れ滞在しているTV関係者によって、郷司さんへのインタビュー取材が午後2時過ぎから現地で行われた。
 取材後に、郷司さんの休憩所で冷たい飲み物を頂いた。
 その休憩所とは【2010年5月14日(金)】のエントリーで書いた無人精米所のことだが、内部がすっかり改装されていて、外部壁面に書かれた文字(無人精米所)とのミスマッチが面白い。
2010年6月21日(月)
 受難
 東田上にある宇民家の水田では、カブトエビが大量に発生していることは先日にも書いたが、梅雨に入り、まとまった雨が降ると、水田の排水口からあふれ出る水と共に多くのカブトエビが流れ出て、排水口の真下に小さなカブトエビが密集した溜まりが出来ている。

 カブトエビの習性である水面付近での背面泳ぎをしている個体が水流に乗って流されているようだ。宇民さんも発見した場合にはすくい取って水田に戻してはいるようだが、取り残された多くの個体はそのまま死んでしまう運命にある。

      (写真は6月13日の朝に撮影)
2010年6月20日(日)
 醤油もつけずに生でペロリww
 今日は(イノシシ情報2010)と同一タイトルによるエントリーとなった。

 この猫、嘗て赤い首輪を付けていたことがあって、それ以来、赤クビワと呼び、今では我が家で唯一残っている猫である。
 少し変わり者の猫で、ブラッシングをしてやると嬉しそうに喉を鳴らし、寝そべった体を左右にゴロンゴロンとしていると思うと、突然鋭いツメを立ててきたりする。
 普段は魚や肉を与えてもほとんど口にせず、キャットフードしか食べない。そのくせ、モグラやネズミをよく捕まえる。モグラは捕まえてもあまり食べないのだが、ネズミは、顔を左右に傾けてクチャクチャと噛みながら食べている。
 たいていの猫は、自分でスズメやネズミなどを捕獲し、くわえている時に他のモノが近づこうとするとウウウと低く唸り声を発し、せっかくの獲物を盗られまいとして威嚇してくるのだが、この猫だけは例外だ。近づこうが、鼻先へカメラを向けようが全く気にしない。
 もっとも、こっちだってネズミなんか横取りするつもりは毛頭ないんだけどネww。
2010年6月12日(土)
 カブトエビの背面泳ぎ (宇民家の水田)
 宇民家の水田では、今年も大量のカブトエビが発生し活発に動き回っています。
 水田の底のドロをかき混ぜるため、常に水が茶色く濁っていて雑草の発生を抑える効果があります。カブトエビの数が多い場合には効果は、驚くほど大きく、除草剤は全く必要としません。
 水面近くでは写真のような背面泳ぎを見せてくれます。  (本日午前7時20分撮影)
2010年6月11日(金)
 ピンクのお腰で 家 内 安 全
 左の写真は、例の下着泥棒の散歩コースということで一躍脚光を浴びた?市道、脇町185号沿いで見かけた寸景。
 さて、この ピンクのお腰、横のほうに「家内安全」の文字と共に御丁寧に住所と名前と年齢が書いてあります。

 なんと80歳のおばあちゃんの手作りのようです。
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2010年5月30日(日)
 田上地区一斉草刈り
 本日、東西田上地区住民による地区内の一斉草刈り作業が行われた。作業は朝8時から(田上下のゴミ集積所~新町橋)区間の道路脇の草刈りから開始した。この区間の草刈りはおよそ1時間で終了。小休止した後、西田上地区と東田上地区に分かれてそれぞれの地区内の草刈り作業を行った。

 東田上地区では観音堂周辺の草刈りに加えて、従来は東の班のみで行っていた市道、脇町185号沿いの草刈りも手分けして行った。午前11時頃に全ての作業を終え集会所で休憩し昼過ぎに解散した。

 とは言っても呑兵衛たちが このまま引き揚げるワケは無く、今回も、いつものようにビールや焼酎で居残りを決め込んだ。今回は、嘗て地区内の子供たちの首領(ドン)として幅をきかせ、「泣かすぞ」 の一言で怖れられたNサンも加わり、半世紀以上前の懐かしい昔話で大いに盛り上がりましたとさ。メデタシ、メデタシwww。

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2010年5月27日(木)
 桑の実
 嘗て蚕の餌として栽培されていた桑の木は、養蚕業が廃れてしまった今でも多く残っていて、山間部の放棄された畑などでは巨大化している木も珍しくない。
 子供の頃には、黒く熟れた桑の実をよく口にしたものだが、食べると口の中が赤紫に染まってしまうのだ。
 桑の実は、今ではカラスなどの野鳥にとって格好の餌となっている。山間部では熟れて落下した実をイノシシが食べているのを目撃したこともある。
2010年5月21日(金)
 土手の花道  (美馬市脇町)
土手の花道  写真は吉野川北岸堤防、穴吹橋~大谷川の区間である。

 この季節、堤防の斜面は多くの草花が咲きみだれ、散歩する人たちの目を楽しませている。ここで見られる花の種類は10種類を越えるが、最も多いのはキク科のブタナニガナだ。斜面を黄色く染めているのはほとんどがこの2種類の花による。

 穴吹橋手前にある《ふれあい橋》から《大谷川》までの区間は、南岸方面から脇高への通学路になっていて、朝は自転車で登校する生徒たちの姿が目に付く。

  ←←←写真をクリックすると拡大します。
2010年5月19日(水)
 ハナエチゼンの田植え (東田上 宇民家)
 朝から雨模様の一日となった今日、宇民家の田で早生種(ハナエチゼン)の田植えが行われた。
 宇民家では、作業効率を考慮し、今年から、ハナエチゼンの作付け面積を縮小し、田上地区内にある2枚の田に限定した。
 田は4~5日前に水を入れて荒練りした後、一昨日に代掻きを済ませている。
 1週間~10日もすれば、カブトエビの姿も見られるようになるだろう。(本日、午前9時20分撮影)
2010年5月16日(日)
 横井出用水路の草刈り (美馬市脇町東田上)
 今日は、年に一度の東田上横井出用水路の補修と草刈りの日だ。

 早朝からよく晴れてはいたが、それほど暑くもなく、作業にはちょうど良い気候だ。午前8時に地区内外から東田上用水の水利権を持つ人たちが宇民家の前に集合し、いつものように上手の水源地側と下手側に分かれて用水路沿いの道の補修や草刈りを手分けして行った。水源地では水路のコンクリートブロックの蓋を外し内部に溜まった土砂を取り除き、新たに蓋として用意した3個のブロックを追加した。
 今年は水量が多く、昨年の2倍くらいあるように感じる。横井出用水路は危険な場所もあるため、作業は比較的体力のある者が行うことにし、体力に自信のない高齢者は集会所の周辺の草刈りを担当した。

 横井出での作業はおよそ1時間半くらいで終了した。その後、集会所で休憩し、用水路関係の会計報告などがあった。

 午前11時頃に解散したが、例によって居残り組の呑兵衛たちによる酒盛りが開かれた。集会所での酒盛りも午後4時には一旦、お開きとなったが、前自治会長を筆頭に3~4名は場所を屋外に移して更に一時間ほど居座り、午後5時になってやっと帰路につきましたとさww。
2010年5月15日(土)
 稲苗の準備 (東田上 宇民家)
 宇民家の稲苗の準備作業風景である。

 土の上に敷いたビニールに浅く水を張り、その中に苗箱で発芽させた稲苗(ヒノヒカリ)を並べる。更にその上をビニールカバーで被い、風で飛ばされないように周囲に鉄パイプや石などを乗せると完成だ。

 こう言ってしまえば簡単そうだが、水を張る場所の下地ナラシから始まり苗箱の運搬や細かい配置など、地味だが、かなり体力と神経を使う作業だ。
 この作業、昨年は5月14日に行っている。

  (本日午前11~12時撮影)
2010年5月14日(金)
 無人精米所? (東田上地区)
 午前中、東田上東部の市道、脇町185号を歩いていると、鉄塔脇の郷司さんの炭焼き場に《 無人精米所 》と書かれた小さな建物が見えた。
 コイン式の無人精米所は私自身もよく利用しているので、ほんの一瞬、( こりゃぁ、便利だ )と思ったのだが、やはり違っていた。こんな人通りの少ない田舎道にそんなモノが出来るワケがない。
 郷司さんによると、この建物はスクラップだそうで、中身の精米機械を取り除き、ここでの休憩所として設置したのだそうだ。現在はまだ内部は空っぽだが広さは3畳ほどあり、内装工事を予定しているのだという。
2010年5月9日(日)
 舞台装置
 子供の頃に読んだ古い怪奇漫画なんかに、骸骨の目の部分の穴(眼窩)から蛇が出て絡みついている絵があったのを覚えている。たいていの人にとっては、ドクロも蛇も共に気味の悪いモノで、この二つを組み合わせることによる相乗効果で更なる不気味さの演出を狙ったのだろう。
 右の写真は樹の洞からアオダイショウが顔を出しているところ。 →→→クリック
         (APS-Cデジタル  300mm 《35ミリフルサイズ換算値》)
2010年5月8日(土)
 分かれ目
 空き缶の不法投棄である。場所は東田上東部の市道、脇町185号沿いの道路脇だ。ここに このような空き缶が棄てられたのは今回が初めてではない。昨年の秋にも同じように棄てられていたことがある。
 美馬市では秋に市内一斉清掃を行っている。脇町地区は昨年の11月1日に行われた。その時、ここで同じような袋入りの投棄された空き缶を回収したことがあって記憶に残っていたのだ。
 不思議なのは、この空き缶が、毎回、市の規定の空き缶専用ゴミ袋にキチンと分別されていることだ。更に偶然かどうかは分からないが空き缶の潰し加減(※下記)も市の規定に沿っている。出す場所と日時を除いては非の打ち所がない。実に惜しいネ。あと一歩で、《環境に配慮出来る心》を持ったイイひとになれたのに!

         (※)( 美馬市では空き缶類は材質による分類は行っておらず、またビール缶は軽く握る程度の潰しはOKだが完全に圧縮したような潰し方は不可とされている。)
2010年5月5日(水)
 立夏
 今日は立夏で、暦の上では今日から夏に入る。それに合わせたかのように、昨日は陽射しがつよく暑かった。今日も昨日ほどではないが気温は高く、野外での草刈り作業をしていると汗ばんでくる。
 ところで、この季節になると、毎年決まって我が家のビワの木に小さな毛虫が発生する。その毛虫が、小さな体で地面を這って隣接する建物の鋼板の外壁をよじ登ってくるのだ。
 2センチに満たないような小さな毛虫で、更に毛虫であるから、当然、足の数は多い。とは言え、その長さは1㎜くらいしかない超短足である。その短足でヨチヨチと一生懸命歩いてくるのだから、まぁ、ご苦労さんなのだが、そんな姿を見ていると、けなげで可愛い?と思えなくもない。
 が、しかし、それも1匹か2匹ならばの話だ。と言うワケで、まずは 写真をクリック→→→
2010年4月30日(金)
 名もない谷の小さな景色 (田上地区)
 ゴールデンウイークということで、風光明媚な観光地などに出かける人もいるだろう。だが、自然を体感することが目的ならばあえて遠くまで出かけて行く必要はない。目の前にある小さな景色も自然そのものなのだ。そういう目で見れば 何でもない木々や岩さえも実に新鮮に見えてくる。
 この世界は、ありふれた、しかし二つと同じものの無い景色が無限に集まって出来ているのだ。なんてネww
2010年4月30日(金)
 ライガー見参
 この可愛い運搬車、福岡県にある筑水キャニコムというメーカーが製造している小型特殊自動車だ。出力は10馬力に満たないがパートタイム4駆で荷台は油圧ダンプ式である。更に、キャビンに対して荷台がローリング可能な構造になっているスグレモノである。
 しかし、なんと言っても、名前がカッコイイ。この車、名前を「モーバン・ライガー」と言う。さすがにメーカー側でも名前については自信とこだわりを持っているようで、メーカーのホームページにも自社製品についてのネーミングと言う項目があって、そこで詳しく説明がされている。
認定を取るべく全社員が一丸となって走り回り、業界初の「小型特殊自動車」が誕生した。その時の団結力の強さを「ライオン」と例え、4WDの力強さと機能性を「虎(タイガー)」と模し、合成語として「ライガー」と創業者包行良人が命名した
 ところで、この運搬車、田上地区内に住む機械好きのハチマキおじさんが欲しがっているようだ。しかし、維持費が安いとは言え、新車だと軽く100万を超えるようで価格面では軽トラックと変わらないのだ。
2010年4月26日(月)
 心憎い程の配慮ww (Part 2)
 午後7時頃、少し怪しい某事務所から誘いの電話が入った。用心のため護身用のチャンチャカチャン♪ を懐に忍ばせ、指定された場所へ出向いたww。
 場所は詳しくは言えないが前自治会長宅ではない。当然、赤い服の男は本人ではないし、その横に座っているのも、 おそらく幸チャンではない。更に後ろ姿の男はデコが見えない以上、確実に照チャンであると断定することは出来ないww。
 例によって、当サイトは最大限プライバシーを尊重し、むやみに個人情報を出さないよう心憎い程の配慮をしております。
2010年4月25日(日)
 ニョロ季節♪
 暖かくなると、山歩きの途中で蛇を見かけることが多くなる。突然、足元で動いたりして驚かされることも少なくない。ほとんどの場合、スルスルと逃げてゆくのだがマムシは別として、無毒蛇でも極く希には飛び付いてくることもある。

 写真は、横井出の山道でとぐろを巻いて寝ていたカラスヘビである。カラスヘビはシマヘビの黒化型だ。この個体も体にシマヘビの特徴である縦条を持っている。カラスヘビはアオダイショウより小型ではあるがアオダイショウより気性が荒いように感じる。
 
2010年4月24日(土)
 ロードサイド・レイク
 左の写真だが、この湖?釣り人が全く居ない。まぁ、魚がいないんだから当然と言えば当然なんだが・・・。それよりもこの湖の存在自体がまだ あまり知られていないのだ。人知れず透明な水をたたえた幻の湖といったところか。

 さて、冗談はこのくらいにして、この景色、本日、田上地区で撮影したモノだが、一見するとなんだか本物の湖のように見えないだろうか?しかし、実際は小さな水たまりに毛が生えた程度のものなのだ。ま、写真なんて所詮そんなモノなのだ。

 インディアン嘘つかなくてもカメラマン嘘つくww.。 
   と言うワケでこちらを クリック→→→
2010年4月22日(木)
 ましゅまろりんご
 ましゅまろりんごは私が勝手につけたもので、一般的には「ナラメリンゴフシ」「ナラネタマフシ」などと言われているようだ。
 サイズはマチマチだが大きなモノはピンポン球位ある。つまむと弾力性があり、少し堅めのましゅまろのような感触だ。しかし実では無く、この正体は虫瘤(ちゅうえい)、つまりは虫こぶである。コナラの木に寄生した「ナラノリンゴタマバチ」の幼虫の住み家なのだ。この虫瘤を切断してみると中に小さな幼虫が見えることがある。
 虫瘤は多くの種類があるが、この虫瘤は見た目が美しく、数年前まで使用していたフイルムカメラでは数多く写したものだ。
2010年4月21日(水)
 趣味悠々ww
 「ほらね!」 と言っても、まぁ 何のことだか分からないだろう。まずは、このページをスクロールして【2010年3月28日(日)】の エピソード① を見て欲しい。
                      

 写真は、田上地区東部の市道、脇町185号線沿いの薮や草むらに棄てられた女性モノのショーツである。昨年の草刈り時に見かけたものであるから、もう半年以上前に棄てられたものだ。
 今日、このエントリー用に撮影するために のぞいてみるとなんと長期間風雨にさらされながらも、けなげ?に残っていたのだ。しまった!。こんなコトなら もっと鮮度の良い時に撮影しておくんだったww。
 で、先日の飲み会で、例の下着泥棒の話題が出たときに、何気なくこの市道沿いに棄てられている下着の話をしたところ、目を輝かせて「それは何処?何処?」とやけに食いついてきたトモさんの顔を思い出したww。
2010年4月18日(日)
 激戦の結果 (徳島県美馬市議会議員選挙)
 今月11日の告示から一週間にわたって繰り広げられた美馬市の市議会議員選挙は、本日投票日をむかえ即日開票の結果以下の当選者が確定した。開票は午後9時過ぎから うだつアリーナで行われ現職4人が落選した。

 今回の選挙は激戦ではあったが、投票率は前回よりわずかに低かった。有効投票数は2,2597票、無効票は188票、持ち帰り1票であった。一位、二位は共に得票数を減らしはしたが、前回同様の順位で安定している。前回、木屋平地区で無投票当選の候補者も強みを見せた。

 現職候補者が軒並み前回よりも票を減らす中、前回の得票数を上回ったのは僅か4名。そのうち(+77票)と最も得票数を増やした三宅仁平さんの健闘が目立つ。
 また、今回は議員定数削減もあって当落ラインがわずかに上昇しているようだ。

当日有権者数   27709人 投票者数  22696人 投票率81・91%
当 1,639 原   政義 61 無現 当   924 三宅  共  71 無現 当 691  中川 重文 55 無新
当 1,390 藤田 元治 48 無現 当   923 久保田哲生 58 無現 当  669 谷   明美 60 無現
当 1,180 武田 喜善 61 無新 当   922 藤原  英雄 59 無現       660 河野 正八 71 無現
当 1,106 林    茂 58 公新 当   915 武田  保幸 73 無現       629 近藤 俊文 60 無現
当 1,051 井川 英秋 60 無現 ↑ 当   892 上田    治 65 無新       621 宇民 俊博 56 共新
当 1,039 三宅 仁平 70 無現 ↑ 当   865  片岡 栄一 54 無現       530 坂口 克己 61 無現
当  981 川西   仁 41 無現 当   865  西村 昌義 62 無現 ↑       518 前田 明美 63 無現
当    955 郷司千亜紀47 無現 当   823  藤川   俊 66 無現 ↑         20 藤田   弘 50 無新
当    937 前田 良平 68 無現 当  756 国見   一 72 無現   は前回よりも得票数を増やした候補者
 【参考】   ちなみに前回(2006年)に行われた選挙結果は以下のとおりである。
当日有権者数   27640人 投票者数  22710人 投票率82・16%
当 1,849 原  政義 57 無前 当 1,004  川西   仁 37 無前 当 805  河野 正八 67 無前
当 1,475 藤田 元治 44 無前 当 981  井川 英秋 56 無前 当 801  中川 昭彦 61 無前
当 1,252 片岡 栄一 50 無前 当 962  三宅 仁平 66 無前 当 774  蔭山 泰章 53 無前
当 1,185 武田 保幸 69 無前 当 959  谷  明美 56 無前 当 751  藤川  俊 62 無前
当 1,109 中山    繁 58 公前 当 956   前田 良平 64 無前 当 657  阪口 克己 57 無前
当 1,041 郷司千亜紀 43 無前 当 926   前田 明美 59 無前 当 649  小林 一郎 70 無前
当 1,029 久保田哲生 54 無前 当 826  国見   一 68 無前   606  長浦 保福 50 無前
当 1,028 藤原 英雄 55 無前 当 817   西村 昌義 58 無前     ※端数は切り捨て
2010年4月17日(土)
 観音霊場巡り (東田上観音堂)
 今日は、昨日までとは うって変わって久々の好天に恵まれた。今日4月17日は春秋にそれぞれ行われている観音霊場巡りの日だ。昨年の秋は当日が天候不順のため中止になっているのでちょうど一年ぶりになる。午後12時50分頃に東林寺の住職の先導で10人程が観音堂を訪れ、地区の当番の人からお茶などの接待を受けたあと西田上の眞楽寺へ向かった。
2010年4月17日(土)                

0412

 期日前投票所
 美馬市議選挙戦もいよいよ最終日となり、泣いても笑っても明日の投票日で結果が出る。
 6人が落選するという嘗てない激戦ということもあって、各陣営とも市内の隅々まで足を伸ばしている。高齢者の票の確保を目的として期日前投票制度の利用も増えているようだ。
2010年4月16日(金)
 観音霊場の花立て作業 (東田上)
 今日、東田上の東の班による観音霊場の花立てが行われた。朝から雨が降り気温も低く肌寒い日となった。
 作業は雨が止むのを待ってから行うということになり、結局、午後になってからの開始となった。
 市道、脇町185号線沿いの簡単な草刈りと共に、昨日のうちに小分けしておいたシキミをそれぞれの石仏に祀った。午後3時過ぎに全ての作業は終了し宇民家で休憩後解散した。
2010年4月15日(木)
 季節外れの寒波
 写真は田上地区から眺めた、本日午後4時30分頃の高越山である。4月中旬だというのに全国的に寒い一日となった。高越山でも上の方にはうっすらと雪が降ったようで、遠くから見るとまるで粉をふりかけたようだ。
2010年4月13日(火)
 デ・レーケ公園 (徳島県美馬市脇町)
 昨日の夕方、デ・レーケ公園ヘ立ち寄った。チューリップが咲き誇るこの時期が最も綺麗で訪れる人も多い。
 朝から天気が悪く、時々小雨が降ったりしていたが、それでもサラリーマン風の2人がやって来てケイタイで記念写真を撮っていた。
 この公園にある風車のモニュメントは撮影アングルが絞られてくるため誰が撮っても似たような写真になってしまう。

  APS-Cデジタル 24~85mm (35㎜フルサイズ換算)
       (4月12日 午後5時頃撮影)
2010年4月12日(月)
 雨模様 (美馬市脇町田上地区)
 昨夜から降り出した雨は今朝になっても降り続けている。観音堂の桜も既に半分位は散ってしまい、白い花びらが減った分だけ、木々全体が ぼんやりと鈍い赤味を帯びてきた。

 昨日行われた美馬市議選の告示では、定数20人に対し立候補者は26人に上った。昨日は各陣営で それぞれの支援者らを集めて出陣式が行われた。一夜明けた今日、雨の降りしきる中、田上地区内でも既に何人かの候補者たちの選挙カーが見られた。
 今回は超激戦ということで、候補者にとっては大変かもしれないが、市民にとってはそれだけ選択肢が拡がるということでもあり、そう悪いことではない。

            (写真は本日午前9時過ぎに撮影)
2010年4月11日(日)
 心憎い程の配慮ww
 今日午後3時頃から某所で今季3度目の花見名目の飲み会が開かれたようだ。聞くところによると、3月28日に行われた地区花見会以降、毎週集まっているらしい。

 写真はその様子だが、右手を挙げているのは照治さんではない。もちろんブルーの後ろ姿は浩さんではないし、幸市クン友和サン仁サンの姿もない。当たり前だが、立ち上がって歩いているのは文明サンではないww。
  当サイトは出来る限りプライバシーを尊重し、むやみに個人情報を出さないよう心憎い程の配慮をしておりますww。
2010年4月7日(水)
 旬の味覚
 田上地区でも孟宗竹のタケノコが顔を出し始めた。

タケノコと言えばイノシシの大好物で地中にあるものを見事に探し出して食べるが、幸いにも この場所はまだイノシシの被害にあったことはない。
 写真は出始めたタケノコを掘る金平久太郎さん(82歳)
2010年4月5日(月)
 八屋敷からの眺め (美馬市脇町東田上)
 横井出の山道から八屋敷へと続いている尾根は2カ所あるが、そのうち一度も通ったことがないルートがあり前から気になっていた。今日午後、そのルートを通り八屋敷まで登ってみた。こんな尾根は今では誰も通る人はいないだろう。
 かなり急な場所もあって、所々に古い切り株がある。ヒノキ科のネズミサシ(別名モロダ)は耐久性があり、年月が経っても腐らずに残っているモノが多い。

    (写真左は八屋敷から黒北谷の向山の山桜、写真右は(脇町~穴吹)の眺望)
2010年4月3日(土)
 観音堂春景色 (美馬市脇町東田上)
 今朝は、久しぶりに青空が拡がった。朝方は風もなく穏やかであったが、午前10時頃からときおり強い風が吹き始めた。
      (本日午前9時30分撮影)
2010年4月1日(木)
 特等席 (東田上観音堂)
 28日に行われた花見会から4日経過した今日、観音堂の桜は満開になり、寒さも和らんだ。これで青空が拡がればベストロケーションになるのだが、あいにく天気は下り坂で空は朝から灰色の雲に覆われている。今夜から雨になりそうだが、天候が回復すれば、今週末からは花見に訪れる人も増えることだろう。

 そんな桜に浮かれる人間たちを眼下に見下ろす視界満点の特等席に居を構えているのがハシボソガラスのカップルである。集めてきた多数の小枝を絡ませ桜の樹の上に作られた直径40センチ程のツリーハウスだ。
  この巣が作られた時期はよく分からないが、少なくとも2~3年前には既に存在していたようだ。此処では毎年子育てが行われているようで、今日も、巣の縁から抱卵中の親鳥のハミ出した尾羽が見えていた。
2010年3月28日(日)
 田上地区花見会
 本日、田上地区恒例の花見会が行われた。23日時点では、今頃はもっと咲いていると予想されたのだが、その後の急激な寒気を伴う天候の悪化のために残念ながら4~5分咲きに留まった。気温も低く、肌寒い中での花見会となった。
 今回も昨年同様に、うどんそば焼き鳥焼きおにぎりなどのメニューが用意された。23日の打ち合わせに基づいて、昨夜も10人ほどの有志が集まって焼き鳥の串刺しなどの下準備を行ってくれている。
 今朝も9時前からバーべキューコンロで炭火を熾したり、セッティングされた大釜で麺類を茹でるためのお湯を沸かしたりとそれぞれが手分けして準備を進めた。
←←←写真をクリックすると拡大します
 新田さんは、毎年イノシシ肉を振る舞ってくれているのだが、今回は、まるで本当は今朝獲れたかのような、絶妙の解凍具合のイノシシの骨付き肉を持ち込み、細かく切って串に刺して焼いた。(少し文が変ですが気にしないように!ww)

 午前10時を過ぎた頃から、地区内の高齢者たちも集会所に揃い、いつものように西條さんによる会計報告、郷土会会長の宇民さんや自治会長の野田さんの挨拶の後、吉村浩さんの乾杯の音頭で、一年ぶりの花見会がスタートした。
 午後2時前に、参加者の集合写真を撮影した。花見会はその後も続けられ、後片付けを含めた全てのスケジュールを終えた頃には午後5時近くになっていた。
 ほとんどの人が帰っていった後、前自治会長を含めた3名が居残り、バーベキューコンロに残された僅かな炭火で暖をとりながら背中を丸めて6時半頃まで過ごしましたとさww。

エピソード①

 今回の花見会の途中で珍事が発生した。もうずいぶん前から田上地区は、地区外からやってくる人たちの散歩コースになっているが、その中にはなんとなく変な人もいるようだ。
 なんと、その男が観音堂近くの民家に干してある女性モノの下着を盗もうとしたのだ。発見したのは、皮肉にも田上地区内に生息するこれまた変なおじさんだ。 まぁ、変は変に敏感ということなんだろうww。

 知らせを受けた当の民家の住人が一目散に畑を突っ走って駆けつけ、「へんた~い、止まれ」と言ったか どうかは知らないが、ともかく捕り押さえたのだ。しかしオオゴトにするのも気が引けるということで放免してやったらしい。
 話によると田上地区内では以前から下着が盗まれることがあったらしい。そういえば以前、市道、脇町185号線の草刈り作業の際に道端の草むらに女性モノの下着が棄てられているのを何度か見たことがあり不思議に感じていたのだが考えてみれば、この道はこの男の散歩コースと一致している。

 で、ここからは余談だが、下着泥棒もフェティシズムの一種ではあるが、まぁ、軽~いヘンタイといったところだろう。軽いと言うにはそれなりの理由があるわけで、実際に起こったこのテの犯罪に対してはずいぶん前から「変態番付」というモノが発表されていて、そこの横綱として長く君臨しているのが「スク水脱糞」というヤツだww。

 え!、知らないって?そんな御仁は向学のために、こちらをどうぞww
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2010年3月27日(土)
 熱闘甲子園 (川島高校)
 午前中は、久しぶりに青空の拡がった甲子園球場。天候不順によって順延されていた大会5日目の試合が行われた。2日続けての全試合順延は実に25年ぶりだと言う。

 川島高校は第二試合、岐阜県の大垣日大高校と対戦した。結果として敗れはしたが、東谷投手の外角のイイ位置に投げ込むコントロールの良い球に相手方のバッターも翻弄されていたようだ。主将の藤畠君も3つの盗塁を決めるなど活躍した。

 今大会では先日の試合でも、敗退した監督による腹切り発言など、21世紀枠での出場と言うことで、ともすれば、実力を軽視されがちだが、強豪を相手にしての今回の川島高校の善戦はそういう意味でも清々しい気分になる。
   10  
 川島高校 
大垣日大高 1×
 試合は11時45分に川島高校の先攻で始まり、2回に1点先取したが、その裏に追いつかれ同点とされた。6回表に1点追加するも、7回裏に再び同点とされた。
 結局、試合は延長戦に突入し10回裏、1死3塁一打サヨナラのランナーに対し満塁策をもって防御を試みたが惜しくも敗退した。
 今や、野党に転落した某党でかつて親分として一世を風靡したあの純ちゃんだったら、いささか芝居じみた口調できっとこんなコト言うんだろうナww。

          「グラウンドの狭さなどのハンディを乗り越えてよくやった。感動した!」
2010年3月23日(火)
 花見会の準備打ち合わせ (田上地区)
 本日、花見会の準備打ち合わせが行われた。午後7時、小雨の降る中、自治会長をはじめ、例年、中心となって花見会を運営してくれているメンバーら10人が地区集会所に集まった。まず始めに日程を決めた後、準備する材料や料理の手順などの詰めを行なった。
 その結果、地区花見会は 3月28日(日曜日)に決定。尚、当日には料理準備などの手伝いが出来る人は9時までに集会所に集まるということになった。
2010年3月21日(日)
 風ニモマケズ
 昨夜から日本列島を襲った春の嵐は、大量の黄砂を伴って断続的に一日中吹き荒れた。午後になって黄砂は治まったものの、早くから観音堂近くの杏の木に咲いていた薄ピンクの花びらは跡形もなく散ってしまった。
 一方、観音堂の桜は、まだ咲き始めであったことが幸いだったのか、吹き抜ける風の中で花びらを小刻みに揺らせながらも散ることなくじっと耐えていた。

           (東田上観音堂の桜  本日午後4時撮影)
2010年3月21日(日)
 おこおっつぁん三景
 地元の人なら誰でも知っている高越山である。
 この山、特に年配の方からはおこおっつぁんと呼ばれ親しまれている。
 掲載した写真は、一昨日に歩いたコース上でたまたま撮影したもので、特におすすめのビューポイントと言うわけではない。
 ところで、おこおっつぁん つぁんは、おそらく高越山のざんの変化だろうと思うのだが、一方で落語のはっつぁんのような敬称としてのさんの変化したもののように聞こえなくもない。まぁ、どっちでもイイんだが、それだけ親しみを持たれているということなのだろう。
 で、田上地区にも、親しみを持ってよしいっつぁんと呼ばれている大先輩がおりますw。
2010年3月21日(日)
 選抜高校野球開幕
 全国的には昨夜から強風が吹き荒れ、甲子園球場も黄砂の影響で空が薄いベールで覆われているように見える。

 今日午前、第82回選抜高校野球大会が開幕。本県からは21世紀枠で県立川島高校が初出場を果たした。
 川島高校の初戦は25日の第二試合、対戦相手は岐阜県の強豪大垣日大高校。頑張って初戦突破してもらいたいものだ。
 ちなみに主将の藤畠慶祐君の祖父は脇町地区猟友会会長の藤畠正さんである。先ほど電話してみたが、誰も出なかった。日曜日ということで、一家揃って甲子園へ行ったのだろうか。
2010年3月20日(土)
 ケサランパサラン増殖中
 ケサランパサランと言えば、桐の小箱に入れて、おしろいを与えて飼う謎の生物で持ち主に幸運を呼ぶとされ、本来は滅多に手に入れることが出来ないモノなのだが、最近では道端でも増えつつあるようで頻繁に見かけるようになった。

 田上地区でも市道、脇町185号線沿いの道路脇の草むらなどでフワフワと風に吹かれている姿を目にする。色は白が多いが、薄いベージュがかったモノもある。
 まぁ、タネあかしをすれば、こちらのモノはそんな夢のある話ではなく単なる犬の毛なのだ。田上地区内も最近では地区外から犬を連れて散歩にやってくる人も増えた。で、その人たちは散歩ついでに道端で犬にウンコをさせて そのまま放置し、更に愛犬のブラッシングを行い周辺へ毛を落として帰って行くというワケだ。
2010年3月19日(金)
 桜 開化 (東田上観音堂)
 本日午前、観音堂の桜(ソメイヨシノ)の開花を確認。昨年の開化は20日であったので、今年のほうが1日早い開化ということになる。
 後は天候次第だが、好天に恵まれれば今月末の28日あたりが花見時期としてはベストだろう。

   (午前11時23分撮影)
2010年3月18日(木)
 高齢者に配慮した改修工事 (田上地区集会所)
 田上地区集会所のトイレは和式であり、足腰の弱った高齢者にとっては使いづらいと言う声が以前からあり、これに配慮した簡単な改修工事がおこなわれた。
 田上集会所のトイレは水洗化されておらず汲み取り式である。そこで現在の和式便器の上に被せるプラスティック製カバータイプのものを取り付けることにした。
 工事は3月16日~18日に渡って行われた。トイレ内の狭すぎたスペースを広げるため 間仕切りを撤去し扉の位置を変更、新たに手すりの設置、洋式のカバー便器の設置などの作業が行われた。間仕切りや手すりの設置作業は16日と17日に自治会長の野田さんが行ない、便器の設置固定やペーパーホルダーの取り付けなどの最終作業は18日に桜間さんがそれぞれ行なった。
2010年3月17日(水)
 山桜 (美馬市脇町東田上)
 観音堂の桜も開花寸前の段階まできているが、一足先に山桜が開花し始めている。西田上の塩ヶ峰の山肌にも開花した山桜の木が白っぽくポツリポツリと目に付きはじめた。

 田上地区の花見会の日時は、23日の夜の打ち合わせで最終決定される。4月4日という意見もあるが、桜の開花状況や参加者の都合によっては3月28日になる可能性もある。いずれにしても、花見会当日には前自治会長はもちろん、呑兵衛は全員参加すること!
           (昨日午後4時頃 東田上の市道、脇町185号沿いで撮影)
2010年3月16日(火)
 雨上がり (美馬市脇町)
 古くからある生活道路で、県道12号鳴池線とバイパスを繋いでいる。道幅が狭く車の通行量はそれほど多くない。
 写真の赤いポストはお染堂という和菓子屋さんの前の道を隔てた向かいにある。
 路地や裏通りといったものは晴天時よりも曇天や雨上がりなどのほうが画面のコントラストが弱まるため、しっとりとした絵になる。
2010年3月16日(火)
 老人集会所 (美馬市脇町) 
 美馬市脇町の「ショッピングセンター・パルシー」の裏にある建物である。パルシーの裏には、古くからの墓地が存在する。墓地はその中を貫く道路によって二分された形になっている。この建物はその道路に面していて、大まかに見れば三方を墓石群に囲まれた格好になっているのだ。
 さて、この建物だが、正面に厚い板の看板のようなモノが付けられていて、そこには少し薄くなった墨文字で「老人集会所」と書かれている。それにしても墓石群に囲まれた「老人集会所」というのも かなり珍しいのではなかろうか。
2010年3月15日(月)
 小さなキツツキ (脇町田上地区)
  スズメ位の大きさの鳥。キツツキの仲間では、最も普通に見られる種類である。広葉樹林を好み、主に小さな虫を食べる。
 ギィーギィーと鳴き、田上地区の人家近くの雑木林でも、枯木をコツコツとつつく音(ドラミング)をよく耳にし、姿もよく見かける。
   コゲラ Dendrocopos kizuki キツツキ科
2010年3月14日(日)
 観音堂 桜情報 (2)
 ここ数日、寒暖の差が大きくて天候が安定しなかったが、今日は晴れて陽射しが暖かく、観音堂の桜の蕾もかなり膨らんできた。
         (本日午後1時30分撮影)
 来週(3月23日)に集会所に於いて花見会の準備打ち合わせが行われる予定。
2010年3月13日(土)
 虹の橋 Rainbow Bridge

 10日に行われた視察研修の日は朝から小雨交じりのあいにくの天候であったが、集合場所のうだつアリーナ上空にキレイな虹の橋が見られた。

   (3月10日午前8時45分撮影)
2010年3月12日(金)
 ねこやしき?
 今日、田上橋辺りを歩いていて見つけた寸景。

 この家、田上地区内にある前自治会長の家なんだが、狙いなのか偶然なのかは分からないが、ある限られたポイントから よ~く見るとポカンと口を開けた猫の顔に見えてくる。まァ、偶然なんだろうww。

 で、ホントのところはどっちなんだ?
 
  (APS-Cデジタル210mm  35ミリフルサイズ換算値)
2010年3月10日(水) 曇り時々小雨
 脇町環境対策協議会視察研修
 本日、美馬市脇町環境対策協議会の視察研修が行われた。 今回の視察研修には焼却施設の近隣住民と美馬環境整備組合の関係者らを含めおよそ50名が参加した。参加者はクリーンセンター美馬の近隣の自治会(新町、馬木、田上、助松、上の原)の住民らで、それぞれの地区内の世帯数に応じて事前に参加者名簿を提出している。田上地区からは、宇民正儀さん、吉村浩さん、藤本博さんらが参加した。

 午前9時に集合場所のうだつアリーナから貸し切りバスで出発し、徳島自動車道を通り土成インターを降り、阿波市吉野町にある中央広域環境センターへ向かった。
 中央広域環境センターは、2市2町(阿波市、吉野川市、板野町、上板町)で構成された中央広域環境施設組合の共同処理施設で熱分解ガス化溶融方式を採用し、平成17年7月に竣工した施設である。処理施設の運営は外部企業へ委託し、ゴミ収集はそれぞれの自治体が独自の方法で搬入している。一行は説明用のビデオを見た後、実際の処理行程の一部を見学した。その後、この中央広域環境施設組合の運営形態や方針などについての説明を受け、最後に参加者との質疑応答の時間も設けられた。
 ここの施設は美馬環境整備組合のクリーンセンター美馬とは異なり、排煙が無いため煙突も不要で、より進んだ方式である。現在の美馬市の処理方式では環境対策の面からも限界があり、処理効率を上げるためには いずれは広域化し進んだ処理方式に切り替える必要があるだろう。
 午前11時過ぎにセンターでの視察研修は終了した。バス内で少し時間調整をした後、御所たらいうどん(新見屋)で昼食を摂り12時30分に藍住町にある藍住町歴史館 藍の館へ立ち寄り見学した後、当初の予定より早い午後2時30分頃、出発地のうだつアリーナへ帰着した。
2010年3月7日(日)
 植菌作業
 徳島県は、建設業者などの参入もあり、シイタケ菌床栽培による生産量が多い。
 しかし、手間は かかるが従来の原木栽培によるものが味が良いという声も根強い。原木にはクヌギやコナラが適し、ドリルで穴を開け種駒を打ち込む植菌は12月~3月頃に行う。
2010年3月6日(土)
 観音堂 桜情報 (東田上)
 今年は、例年より高めの気温が続いているためか、観音堂の桜の蕾の成長が早いように感じる。ちなみに私が確認した昨年の開花は3月20日であった。

 田上地区恒例の花見会は、開花のピークを過ぎた4月4日頃になるのだろうか?

           (本日午後3時30分撮影)
2010年3月6日(土)
 農業機械展示会
 今日午前、吉村浩さんから、鴨島で開催された農業機械メーカーの展示会に誘われ、興味本位で行ってみた。近所に住む機械好きのハチマキおじさんも一緒に行った。
 朝から小雨が降ったりして、あいにくの天候だったが会場には多くの人が訪れていた。それにしても農業機械は価格が高いモノが多い。高価な機械を購入して確実に収益を上げることが可能な層は多くはないだろう。零細農家では導入しても全く採算がとれない。展示された機械に貼り付けられた値札を見ていると、ため息と共に耕作放棄地が増えるのも仕方ないように思えてくる。
 私自身は、こうした展示会へ来るのは初めてだが、並べられた機械をみているうちに、かつての脇町で行われていた文化祭に農業機械や家電製品の展示スペースがあったことを思い出した。
2010年3月4日(木)
 【 太宰治 記念館 】

 今日午前、美馬市脇町の拝原で駐車場に車を停めた直後、窓越しに見つけた寸景。

  まぁ、少々、強引こ こんなタイトルを付けてみましたww。


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2010年3月3日(水)
 カスミサンショウウオ (美馬市脇町東田上)
 宇民さんからサンショウウオがいると聞き、宇民家の裏を流れる横井出用水路へ行ってみた。
 水路内に置かれた半円筒状の瓦をそっと持ち上げてみると中型のカスミサンショウウオの姿が見えた。瓦の下2カ所にそれぞれ1匹ずつが陣取っていた。ここで成体を同時に2匹以上確認できたのは久しぶりだが、産卵した形跡はないようだ。
  (本日昼過ぎに撮影)
2010年3月1日(月)
 傘がある♪
 田上橋から西田上地区へと上っていく途中にカラフルな一本の傘がある。
 この傘、おそらく誰かが ちょっとしたイタズラで引っかけたものだとは思うが、柄の部分が道路脇の竹にうまく噛み合っていて、竹との相性が良いのか落下せずに、ずいぶんと前からここにある。
 ささやかなコンセプチュアル・アートみたいでよろしい!◎ww
2010年2月28日(日)
 メダリストww
 宿命のライバル浅田真央VSキムヨナの対決ということで、バンクーバー冬期オリンピックの中でも特に注目を集めた女子フィギュアスケートもキムの圧勝で終わってしまった。フリーが行われた26日は近所の婆様連中もTVを観ていたようで、
よーまぁ、コケんとあんなにすべれるもんじゃなぁ~」 と感心していたかと思うと、そのうち表彰式の話になり、婆様の一人が、
 「メダルと一緒に、あの、ほれ、ブロッコリーみたいなもんもろとったなぁ」 などと言いだした。どうやら渡された花束のことを言っているらしいが、まぁ、そう言われてみれば確かにブロッコリーに似ているような気がしないでもないwww。  
    (右手に高々とブロッコリーみたいな花束を持ってリンクを一周するメダリストたちwww)
2010年2月27日(土)
 五年に一度 (美馬市脇町西田上)
 本日、午前10時から西田上にある眞楽寺で、五つの加盟寺院の住職らによる五年に一度の涅槃大法会が開催された。檀家の人たちも高齢者を中心に大勢参加していた。
 ここ数日、平年を上回る気温が続いており、今日も曇ってはいるがさほど寒くはない。それでも、参加者に高齢者が多いことを考慮してか、外側全体がビニールで覆われていて、各地区の総代役員がずらっと並んでいる受付を通り中に入るようになっていた。参加者には弁当と記念品が用意されているということで、これを楽しみに出かけて行くという人も少なくないだろう。 
2010年2月22日(月)
 景色 (美馬市脇町)
 脇町のうだつ郵便局の駐車場からの眺め。無造作に積まれた大小の金属スクラップがひそかに増殖中のようで、この部分だけ切り撮ると、なんだか どこかの発展途上国の景色みたいです。
      (本日午前11時過ぎ撮影 Panasonic FX-100 27mm 35ミリフルサイズ換算値   画像はホトショで少しばかりイジッテあります)
2010年2月13日(土)
 享年62歳
 今月8日の午後、作家の立松和平さんが亡くなったそうだ。多才な人で実に多くの著作がある。かつて久米宏がキャスターを務めていた人気番組「ニュースステーション」にレギュラーで出演し、栃木訛り?の朴訥な語り口が人気を得ていたこともある。
 その立松さん、一度だけ田上地区へ来たことがある。某機械メーカーの出版物に掲載する記事の取材で西條牧場を訪れているのだ。
 今から20年以上前、1989年(昭和64年) のことである。
2010年2月12日(金)
 梅 水仙 観音堂

 東田上観音堂と言えば、春の桜のイメージが強い。そんな桜のような華やかさは無いが、この季節、境内の片隅では梅や水仙がひっそりと花を咲かせていて、また一味違った趣を醸し出している。

    (本日午前10時過ぎに撮影)
2010年2月9日(火)
 生き生きサロン (田上地区集会所) 
 全国的に季節はずれの暖かな一日であった。本日、田上地区集会所で新年会を兼ね、高齢者を対象とした健康に関する説明会が開かれた。、午前10時半を過ぎた頃、東西田上地区内からおよそ20人が集まり、おでんやおにぎり等の昼食が用意された。
 食事を済ませた後、社会福祉協議会の職員による口腔ケア栄養改善についての話を聞き、ビンゴゲームなどで楽しんだ。
2010年2月7日(日)
 西田上用水の補修作業 巨根伝説?誕生ww)
 今日、午前8時から西田上用水の補修作業が行われた。この作業は先月末(1/31)に予定されていたが、当日が悪天候であったためため、今日に変更されたのだ。
 東田上用水は、先日、詰まり箇所の修復作業を済ませたところだが、西田上用水にも詰まりがあって、途中でのパイプの破裂も確認されていた。今朝、西田上用水の水利権を持つ人たちが眞楽寺の裏から用水沿いに歩いて 破裂箇所の補修と共に、埋設されたパイプの所々を掘り出して更なる詰まり状況などを確認した。

 午前10時過ぎに休憩のために一時出発点に戻り、休憩後再び現場へ向かい、パイプの破裂箇所から作業に取り掛かった。水源地の取水口で水を止めておいて、パイプの裂けた箇所をノコギリで切断した。切断面の下流側のパイプ内部にはビッシリと樹の根が詰まっていて引っ張ってもなかなか抜けず、仕方なく更に近くの箇所を切断し、ようやく引き出すことに成功した。
 パイプ内の障害物を除去した後は、金属製の継ぎ手を用いて再びパイプを繋ぐのだが、パイプのサイズが大きいうえに、変形もしていて作業は簡単ではなかったがなんとか接続を終えた。

 その後、それぞれ昼食のために一旦帰宅し、午後から再び残りの作業を開始したが、店に在庫が無いということで、必要数の継ぎ手が確保できず、今後の作業は4月になってから再度行うことになった。

 さて、今まで数々の巨根を手にし、自らも保有していると豪語し?自他共に認める巨根愛好家幸市さんをもってしても 「いやぁ、さすがのオレも、これには負けるよ!」 と言わしめたそのがこちらですwww。→→→クリック
2010年2月6日(土)
 郷司さんちのウサギウマ (美馬市脇町)
 ウサギウマ とはあまり聞き慣れない名だが、要するにロバである。ロバの別名をウサギウマと言うんだそうで、こちらに書いてあります。私自信も知らなかったんだが、まぁ、そう言われれば、耳も普通の馬よりは少々長いような気もするし・・・

 で、この2頭のロバは郷司さんの自宅裏の重機などを置いている広いスペースの一画で飼われていて、時々、巨大な建設機械の間をのんびりと歩いたりしていてミスマッチな取り合わせがなかなか面白い。
 こちらが眺めていると、ロバのほうも変なヤツだと思ってか、こちらをじっと見るんだが、その顔をよ~く見ると、少し笑っているように見えてくる。と言っても、実際に笑っているのでは無く、そーゆー顔なんですwww。

 日本国内で飼われているロバの数は馬とは比べものにならないほど少ないようで、数百頭位なのだそうだ。今の時代、通販で買えないものは無い、と言うワケで自宅でロバを飼ってみたいというヒトはこちらをどうぞww。→→→クリック
2010年2月2日(火)
 黒北山の調査 (美馬市脇町東田上)
 今日午前、県と市の教育委員会による黒北山の調査が行われた。この件に関しては、昨年の12月25日に郷土史家の真鍋利夫さん田上地区郷土会会長の宇民正儀さんらと市長に対し、岩倉城の案内版の設置に関する陳情に出向いた際に同時に調査依頼を出しておいたものだ。

 黒北山は黒北の かつての廃家電騒動のあった場所の背後にある標高272メートルの山で、直ぐ側には国見丸(260メートル)がある。
 昨年の11月19日に、イノシシの生息状況を調べていた私が、山頂付近に残っていた古い石積みを発見し、その時に撮影した何枚かの写真と共に郷土史家の真鍋さんに報告し、その後何度か打ち合わせをし、おおまかな測量を元に真鍋さんが概略図と共に陳情書を作成した。真鍋さんによると、この場所は全体的な位置関係からも脇城の砦「詰メの城」である可能性が考えられるという。

 その調査依頼に対し、今日、県の教育委員会の辻さん美馬市教育委員会の大森さんが調査に訪れたので現地まで案内した。午前9時過ぎに、集合場所の宇民家から黒北谷沿いの市道470号線の途中まで車を使い、後は歩いて行った。地元からは宇民さんら5人が同行した。
 比較的なだらかな尾根道を20~30分程歩くと山頂に到着し、付近一帯を見て回った。この石積みを見るのは、宇民さんも初めてだと言い、同行者の中では長年山仕事をしていた金平さんだけは知っていたようだ。

 県教委の辻さんは石積みよりも、むしろ周囲の切り落とし等の方を探していたようで、県内の城址では、石積みはあまり無く、敵からの防御として周囲を切り落として段差を付けることが多いのだと言う。ここにも、明らかな人工的な段差は見られるのだが、高さや崩れの感じが今までの経験から判断すると少し違うように感じられるのだそうで、今日時点の見解では直ぐに、ここが明らかな城跡であると断定は出来ないとのことであった。
 但し、真鍋さんの指摘通り、脇城から岩倉城を含む総構としてのそれぞれの要所の連なりや、直ぐ側を大滝山への道があるということも考慮すると、戦略的に見て良い位置であると言う。また、辻さん自信が かつて国見丸を調査した時に この山は気になっていたとも話していた。

 山頂付近を一通り、見た後、少し下ったところにある山肌を取り巻くように伸びている大滝山への参道を通り、途中、古い人家跡や墓跡を見た後、およそ2時間の調査を終え帰路についた。昨日降り続いた雨のためか、今日も朝から曇っていて天候がすぐれず、時々霧雨が降ったりもしたが、それでも大雨にならず、なんとか持ちこたえたのが幸いだった。 

 昨年撮影した黒北山の写真をこちらで公開しています。(24カット スクロール)→→→クリック
2010年1月31日(日)
 記録更新
 3日前 (1/28) に、横井出用水の水源地付近で導水パイプの詰まり除去作業を行ない、何カ所か から障害物となっていた樹木根が出てきた。

 今日、藤本博悠さんら2人が再びパイプの点検を行い、2本の長く成長した樹木根を発見し宇民家まで持ち帰ってきた。
 長さを測ってみると2本のうち短い方は2メートル80センチ、長い方は なんと6メートル30センチもあった。ちなみに、これまでの最長記録は2007年8月12日の4メートル70センチだった。
2010年1月30日(土)
 月は見ていた
 世の中、不景気になると こんなヤツも出没します。今朝、観音堂の管理をしている曽川家から 「さい銭泥棒の被害に遭った」 と言う連絡が入ったので行ってみた。
 見ると、観音堂の入り口に置かれたさい銭箱の廻りに米や小銭が散乱している。犯人は昨夜のうちに さい銭箱をひっくり返してこぼれ落ちた小銭のうち高額硬貨、(と言ってもせいぜいほとんどが10円玉程度)を持ち去って5円や1円硬貨などはほったらかして行ったらしい。
 「1円を笑う者は1円に泣く」と言う言葉があるし、そもそも 「さい銭泥棒をするようなヤツが1円や5円をバカにしてどうするんだ?」 と言うことで 「どうせ盗るんだったら1円残さず全部持ってけ泥棒!」 と言いたいところだが、まぁ、そういうワケにもいかない。
 東田上観音堂が さい銭泥棒の被害にあったのは今回が初めてではなく、随分前にも一度ある。その時の犯人は近くに財布を落としていったり、乗ってきたバイクを転倒させてバックミラーを破損させたりと随分とドジな男であったようだ。村ではあえて犯人の追及はしなかったが、阿波町に住む高血圧の持病持ちの男であった。どうしてそこまで分かるのかと言えば、財布の中には病院の診察券、更に道端には薬の入った袋まで残して行ったのだ。まぁ、泥棒もここまでドジだとなんだか可哀相になってくる。
 ところで、今日が満月であるから、当然、昨夜もかなり明るかったのだろう。
2010年1月30日(土)
 古巣
 スズメバチの巣だ。東田上東部の耕作放棄地内に生えた桑の木の枝に造られていた。巣は地面からおよそ1.5メートルの高さにあり、サイズは約30センチ程だ。

 模様の美しい巣は空で、今は使われていない。古くなっているためか、脆くなっていて指で触れると崩れそうになる。巣の下には死んで固まった成虫の死骸が2~3匹転がっていた。コガタスズメバチのようだ。

 コガタスズメバチは樹上に巣を作る習性があり、黒北谷では、何年か前に、ケヤキの木の上に造られた50センチを超えるような巣を見たことがある。その巣も既に使用されていなかったようで、台風によって吹き飛ばされるまで、かなり長期間に渡って樹上に留まっていた。
    (panasonic DMC-FX100  27㎜ ※35㎜フルサイズ換算値
2010年1月28日(木)
 東田上用水 (美馬市脇町田上地区)
 東田上の横井出用水の流量はかなり前から減少していたが、最近では完全に水流が途絶えてしまっている。水源地の取水口からパイプへ流入する水量そのものが減少しているのも事実だが、それだけでは水流が完全に途絶えるということは考えにくい。導水パイプの内部に侵入し巨大化した樹木が詰まりをおこすということが過去に何度も発生している。

 本日午後、宇民正儀さん、曽川幸市さんらと調査を兼ねて黒北にある東田上水源地へ向かった。山道をおよそ20分歩くと現地に到着し、先に来ていた藤本博悠さんと合流し作業を開始した。
 手順としては、取水口からパイプ内に10メートルを超える細長いプラスチックバーを通して詰まり箇所(障害物の有無)を探り、詰まり箇所の見当がつくと、その場所を手作業で掘って埋設された樹脂パイプを露出させ、ノミやノコギリを使ってパイプに穴を開け、そこから内部の障害物を取り出す。作業後には別に用意した溝付きパイプをかぶせて穴を塞ぐ。
 この一連の作業を繰り返すワケだが、今日は五カ所に穴を開け、パイプ内で巨大化した樹木根を取り出した。2時頃から始めた作業は暗くなったため5時半過ぎにひとまず終了した。田上地区へ戻り用水路を確認したところ僅かだが水の流れが確認できた。作業後、宇民家で休憩し解散した。

                   (写真中は、取水口手前の水路から取り出された2メートル程ありそうな巨根を ぶら下げ、ご満悦の散髪直後の幸市さんww)
2010年1月27日(水)
 霊芝 (れいし)
 マンネンタケ科マンネンタケ属のキノコである。私が持っているキノコ図鑑の古い方では、サルノコシカケ科、マンネンタケ属となっているので、その後に分類が変わったのだろうか?。
 動植物の中でも特にマイナーなものでは、研究が進むにつれて分類が変わることはそう珍しいことではない。

 霊芝は藥効があると言うことで、特に中国で珍重されてきた。今では日本でも人口栽培が行われているが、それまでは幻のキノコとしてかなり高価であったようだ。健康食品として、粉末や錠剤などいろいろな形に加工され幅広く販売されている。

 しかし一旦加工されてしまうと実際に霊芝以外の混ぜモノが入っていても分からない。そういうことかどうかは分からないが、未加工の霊芝そのものも売られていてこれは中国からの輸入物が多いようだ。
 霊芝と言う語感からくるものもあってか、幻のキノコなどと言われたりして深山幽谷に産するようなイメージがあるが、極端に珍しいというほどのものではない。
 写真は私が田上地区で採集した霊芝。既に枯れて硬化したもので、赤黒いツヤがあり、磨くと更に美しくなる。マンネンタケは虫に食われやすいため、天然モノではほとんどに虫食いの跡がある。形の良いモノは観賞用として利用出来るが、内部に虫が入っていることがあるので電子レンジで殺虫しておくとよい。 
2010年1月26日(火)
 手前味噌
 田上地区でも、嘗ては多くの家で自家製の味噌や醤油を造っていたのだが、手間が掛かることもあって、今では少数になってしまった。自家製の味噌や醤油を造る家では、大豆も自家製であることがほとんどである。
 夏に撒いた大豆は12月に収穫され、目的のものに加工される。味噌作りは この季節、古くから六曜の《大安》の日を選んで行われることが多いようだ。
 で、どこの家でも、それぞれ自分の家で造った味噌が一番旨いんだそうですww。

     (写真は東田上の曽川家の味噌造り風景、本日1月26日 《大安》 午前11時過ぎ撮影)
2010年1月25日(月)
 酒の肴(さかな)
 昨夜、突然、地元の有力者宅から 「一杯やっているからお前も出てこい」 と言う呼び出しがあった。おそるおそる出かけて行ったところ、酒席には既に幹部クラスの3人が揃っていて、しばらくすると更に2人が加わった。メンバーには、頭にヤの付く自営業者もいて、最近では不況でシノギが厳しくなっていると言う。

 で、酒が回るにつれて、いつしか話題は例の件になってくる。話によるとこの3月までに一家あたり5万円の上納金を科せられていて、これが大きな負担になっているようで、このことにより構成員の間に潜在的な不満と不信感が鬱積しているのが、この場のみならず、至る所で ひしひしと伝わってくる。
2010年1月24日(日)
 小さな泉 (西田上 岩倉城址)
 今日午前、西田上に用事で出かけたついでに岩倉城址辺りを歩いてみた。雲ひとつ無い快晴のため大気が澄んでいて城址からの眺めがすばらしい。(写真左は城址から見た東田上方面)

 本丸跡のある高台の下には何枚かの水田や畑が拡がっている。その水田の片隅に小さな泉(写真中)がある。周囲が草に覆われていて上部は幅が1メートルにも満たないような非常に小さな泉のため、直ぐ側まで行ってもなかなか目に付きにくい。この泉、上から覗いても底は見えないが内側は広くなっているようでいつも透明な水をたたえている。
 郷土史家の真鍋さんによると この泉、かつては岩倉城の賄い水として利用されていたのだと言う。     
2010年1月22日(金)
 紛争の地 (美馬市脇町拝原)
 午後、久しぶりに拝原の春日地区を歩いた。ここへ来るのは昨年の10月3日以来であるから、3カ月半ぶりになる。
 ここは最終処分場の地区内建造の是非を巡り住民と行政との紛争の地とあって相変わらず反対派住民たちの立てた幟(ノボリ)や看板が目に付く。
 吉野川の堤防下の水田には所々、美馬市教育委員会による埋蔵文化財の試掘跡の大きな筋状の溝が刻まれていた。
 川辺では、かつて持ち込まれたゴミの山の近辺の茂みに、不法投棄された家電製品の残骸などが点在している。(PM3:30~4:30撮影)
2010年1月18日(月)
 失われた景色 (東田上)
 今日、午後から水源地を見に出かけると言う曽川さんに同行した。黒北谷沿いの市道、脇町182号線の途中で軽トラックを降り、少し離れた水源地まで歩いた。

 田上地区は新町谷川を境に東田上と西田上から成りたっている。その新町谷川を遡ると田上橋の辺りで黒北谷と池の奥谷に分岐している。
 東田上地区は黒北谷、西田上地区は池の奥谷がそれぞれ水源地となっている。
 上水道が出来るまでは飲料水としても使用されてきたが現在では共に農業用水としてのみ使用されている。かつては山肌にコンクリート剥き出しの水路が引かれていたが、現在は東田上地区では水源地から集落までの間は樹脂パイプで導水されている。西田上地区でも、かなりの区間にパイプが使用されている。パイプは中間部からは土砂などの侵入が無く安定しているが、継ぎ目や極めて小さな穴などがあると植物の根が侵入し、パイプ内で成長し巨大化し詰まりを起こすことがある。最近では(2009年9月25日参照)には60㎝、(2007年8月12日参照)にはなんと全長4.7mもある樹木根が発見された。

 最近、両地区の用水の流量が著しく減少している。西田上用水の場合は山沿いの区間で漏水していることが原因らしいが、東田上用水の場合はもっと複雑だ。東田上用水の取水口付近での水量が減少してきているのだ。取水口から100メートル位下の谷に取り付けられたパイプからはかなりの量の水が出ている。どうやら谷水は東田上用水の取水口のかなり上手で地中にしみ込み取水口の下を伏流水となってすり抜けてしまっているように見える。

 田上地区の谷に限ったことではないが、およそ谷という谷には至る所に堰堤(砂防ダム)が建造されている。目的は防災であり、下流への土砂の流出を防ぐということだが、その多くは名目であり実際は公共事業に名を借りた土建業者への利益供与の口実に利用されてきたのだ。
 こうして無計画に建造された砂防ダムに堆積した土砂は隙間が多いため水は地中へ浸透し、以前の谷川のような水の見える景色は失われ、乾いた砂礫に覆われた殺風景な谷へと姿を変えてしまった。      (写真は変わり果てた古里の谷を呆然と見つめる曽川幸市さん)
2010年1月15日(金)
 アオバト (美馬市脇町東田上)
 昼頃、東の山の方から、今まで耳にしたことのない、なんだか不思議な変わった声がした。

 文字で表すと「ォワ~オゥ ォワ~オゥ」となってしまい、なんだか《志村けん》みたいになってしまうのだが、実際にはもっと澄んだ上品な笛のような声だ。
 その声のする方向を注意深く見ると、およそ数十メートル先の山裾に連なる木の枝に黄緑色の鳥が留まっていた。
 アオバトだ。名前は知っていたのだが、実際に見たのは今回が初めてだ。昭和22年までは狩猟鳥に入っていて、かつては田上地区でも多くいたようだが今では滅多に見られない。(APS-Cデジタル 1260mmトリミング加工  ※35mmフルサイズ換算値)
2010年1月13日(水)
 雪中散歩 (美馬市脇町田上地区)
 早朝は曇り空だったのだが、午前9時前になると大粒の牡丹雪が降り出した。雪は急速に積もり、あっという間に辺りを雪景色に変えた。曇天の雪景色は色彩が乏しく全体が沈んだモノトーンになってしまう。
 おそらく前世がノラ犬?の私としては、いてもたってもいられず雪景色を撮ろうと さっそくカメラを持って出かけたのだが、あまりにも降ってくる雪が多くてワイドレンズの短いフードをすり抜け雪が直にレンズ面に付着してなんとも具合が悪い。

 東田上東部の市道、脇町185号線沿いの鉄塔の側には、郷司さんの炭焼き窯があり、今日もやって来て一人で炭を焼いていた。普段は何でもないありふれた景色なのだが、舞い散る雪の中では薪の炎がいっそう赤みを増して実に新鮮に見える。炭焼き場の側では、ずいぶん前からチャボを飼っていたのだが、昨年の年末に何者かに網を破られチャボの多くが噛み殺されてしまった。郷司さんは野犬の仕業らしいと言うが、キツネの可能性も否定できない。この場所から極めて近い場所でキツネの目撃例があり、2008年夏には実際に捕獲例もある。→→→     (本日午前10時過ぎに撮影)
2010年1月10日(日)
 噂の真相
 そう言えば、かつてそんなタイトルの雑誌があった。毎号かなりスキャンダラスな記事が多く、あの岡留安則氏が編集をしていたヤツだ。多くの雑誌がそうであるようにこの雑誌も時代の変化の波を受け、今では紙媒体の本としては消滅してしまったがWeb版として細々と生き残っているようだ。
                  
 さて、これからが本題に入るワケだが、上記とは関係は無い。

 田上情報局の昨年(2009年12月8日を参照)の記事で或る山の頂上付近の浅い地中から女性モノの衣服が出てきたと言うことを書いた。
 その後、何人かにその話をしているうちに興味深い話が出てきた。
 現場の直ぐ側には山の神を祀った祠があるのだが、その周囲には瓦が散乱していて、現在では小さな祠が残っているだけだが、かつては一間四方位の御堂のようなものがあったらしいのだ。散乱した瓦はどうやらその建物の名残りのようだ。
 そして、一時期、この小さな御堂にある男が住んでいたことがあるという。もちろん山の神の傍らで勝手に寝泊まりしていたということだ。散乱した瓦に混じって僅かだが、布団の綿のようなモノが散らばっていたのは、この男の生活の痕跡だったのだろうか。
 もちろん、これも推測の域を出ないことではあるが、稜線上の土中から出てきた女性モノの衣服はこの男が持ってきたのではないかという者もいた。 
 更に、この山では、以前に人骨らしきモノが見つかったという話を何人かから聞いた。いずれも噂として耳にしたことがあるということで、詳しいことは分からない。時期は昭和40~50年代の頃のようだが、関わりたくないと言うことでだれも届けなかったらしいと言う。あれからずいぶんと歳月が経過したこともあって、今では当時の事情を知る者はそう簡単には見つからず、当然のことながら真相は薮の中のままだ。
   (写真の2人は、この件に関して問いつめたところ何故か、「オラたちは何も知らネェだ」 と妙に口をつぐむ村の衆ww)
2010年1月4日(月)
 黄昏の街 (たそがれのまち)
 夕方5時頃、歯医者の待ち時間を利用して脇町の拝原辺りをを歩いてみた。
 本来なら交通量の増える時間帯ではあるが車の量は多くない。実際にはと言うよりと言う方が合っている。
 拝原の交差点から少し離れた国道193号脇には、藍色に白く大衆食堂と染め抜かれた暖簾が掛かっていた。《大衆食堂》と言う看板や暖簾も最近はあまり見かけなくなったように思う。
2010年1月1日(金)
 謹賀新年
 田上情報局も今年で4年目に入るということで、タイトルバックに写真を加え、リニューアルオープンしました。

 さて、上の写真だが、年明け早々に某所で2人組の不審な輩(やから)が酒盛りを企てているらしいという事前のタレコミ情報に基づいて調査に出向き、そこで目撃した一風変わった飲み会だ。ご覧の通り、参加メンバーがなかなか個性的で笑えます。
 大晦日恒例の紅白や格闘技番組を見終わった後、午前0時30分頃から始まった飲み会は午前4時30分頃に お開きとなった。時々小雪がちらつく氷点下の気温の中、部分月食で左側が少し欠けた月の明かりを背中に受け、トボトボと歩いて帰宅しましたとさww。

(2010-1-1 AM1:30頃撮影)
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