1973年10月5日(昭和48年)にアメリカ第7艦隊に所属する「空母ミッドウェー」が神奈川県の横須賀港に初入港し、それ以降 事実上の母港とした。 港に隣接する臨海公園は空母の母港化に反対する市民、学生、労働者たちの抗議行動の中心地となり多くの集会やイベントが開催された。熱い時代であった。
  横須賀の空母はその後1991年にインディペンデンス、そして1998年にはキティーホークへと交代していったが、艦載機の米軍厚木基地への飛行による騒音問題、将来における原子力空母の母港化に対する不安、核兵器搭載疑惑などが解消されることはなかった。

  あれから30年以上経過した。当時マスクにヘルメット姿で抗議行動に参加した学生活動家たちの中には後に就職し企業戦士となり、そして今その引退時期を目前に控え第二の人生を模索している者もいることだろう。
  かつて広範囲な労組の支持基盤を背景として野党第一党であった社会党も今は無い。強力な労働組合を持ち様々な業種の労使闘争にも強い影響力をもった国鉄は膨大な赤字体質から脱却できず、その後分割解体され民営化された。

  当のミッドウェーは、その後大規模改修時のアスベスト不法投棄問題(1986年)などを引き起こし、このことが皮肉にも日本人がアスベストに対する危険性について再認識させられるきっかけともなったが、一足先に退役し現在ではカリフォルニア州サンディエゴ市で「空母ミッドウェー 博物館」として第二の人生ならぬ艦生を踏み出している。

  

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掲載写真はミッドウェー初入港の翌年1974年6月に行われた野外コンサート、と同年10月に総評主導で行われた大決起集会の記録。6月のイベント終了後には、一部の空母乗組員が乗艦拒否をし帰艦せずに米軍内で問題となった。

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