田上情報局

( 極めてローカル )

( 徳島県美馬市脇町田上地区の行事や出来事を記録 )
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2007年12月24日(月)
枯れ木伐採
 東田上地区の、藤高家の裏の道沿いに何本かの松の枯木があり、台風などで倒れる恐れがあるということで、あらかじめ伐採しておくことになった。

 高齢ではあるが、長年 山仕事をやってきたベテランの金平久太郎さんと宇民正儀さんの二人がチェーンソウで切り倒した後、薪用に細かく切断した。切ってみると、一部の木はかなり虫食いが進んでおり、このまま切らずに放置するとかなり危ない状態であったようだ。
2007年11月17日(土)
観音霊場めぐり御一行様の≪お接待≫
 毎年、春と秋の2回、観音霊場めぐりが行われている。そして今日がその日である。
 秋晴れの清々しい天候に恵まれたせいか、今日はいつもより多い20人ほどが真楽寺の住職らを先導にして観音堂を訪れた。
 毎月交代で行なっている東田上地区の観音堂の当番がお茶やお菓子を用意して彼らに振舞うのが慣わしとなっている。ここで休憩した一行は、この後、真楽寺へと向かう。
2007年11月10日(土)
観音堂の草刈り、道補修作業
 今日は観音堂の草刈り清掃の日である。朝8時に東田上地区から15人が集まり作業を開始した。今回は、観音堂への進入路の補修も合わせて行うことになった。

 この道は四国縦貫道に伴う地元対策事業の一環としてコンクリート舗装されたものだが、歳月の経過とともに側面の地盤が下がり路面のコンクリートが一部ではあるが、浮いた状態になっている。
 そこで、側面に型枠を使用して隙間にコンクリートを流し込んで補強することにした。宇民さんや吉村さんなど、型枠工事の経験者らが中心となって作業は進められ、11時半頃には終了した。作業後、集会場で軽食を摂ったあと解散した。
2007年10月8日(月)
市内一斉清掃の日
 昨日と今日の2日間は、美馬市の市内一斉清掃の日だ。穴吹、美馬地区は昨日それぞれ行っているため、今日は脇町地区内のみである。
 雨天決行ということもあって天候が心配されたが、未明はあいにく、雨が降ってはいたものの、外が明るくなるにつれて曇り空へと変わっていった。

  今日の清掃日程は美馬市の広報による告知のみであったためか、田上地区では清掃作業に出てきたのは全戸数の1/3に満たない8軒であった。集まったゴミはそれほど多くはなかったが、空き缶、空きビン、燃えるゴミ、などに分類し、9時前には解散した。
2007年10月6日(土)
ようこそ!
 もうすぐ田上地区に新しい住民がやってくる。
宇民家へ長期のホームステイ(多分18年以上)の予定だ。ただ、なにぶん日が浅く、現時点では日本語が通じないのだが、それでも1〜2年も経てば、片言の日本語がしゃべれるようになるだろう。ww

 と、まァ、冗談はさておき、昨日、宇民家に新しい命(男の子)が誕生したのだ。賢司さんと としえさん夫妻に三男が出来たのである。  で、長男の健一郎クンは弟が増えても今までどおり兄であることに変わりはないのだが、次男の直将クンにとっては弟が出来ることによって、今までずっと弟であったのが、突然、兄になれたというわけで、彼が一番喜んでいるようです。ww

 なには、ともあれ目出度い!!
2007年10月6日(土)
祭りの準備
 明日は、八幡神社の秋祭りである。
例年は10月の第2日曜に行うことになっていたのだが、今年は當家の当たっている地区の都合で一週間繰上げて行われることになった。
祭りが近づくと、田上地区でも幟(ノボリ)を立てて準備をする。

 昨年は、田上地区に當家が廻って来たのでずいぶんと盛り上がったのだが、神輿が来ない今年は再び静かな祭りに戻った。
2007年9月28日(金)
東田上(東の班)による草刈り
 秋祭りが近づいたということで、東田上の東の班による草刈りが行われた。決まったのが昨日の夕方であり、それも平日ということであるため、5人での作業となった。
観音霊場コースでもある この道は、4月と6月下旬に刈っているのだが、3ヶ月の間にずいぶんと草が伸びている。

 特に葛(クズ)の生命力はすさまじく、あっという間に道路脇のガードレールを覆い隠してしまう。
 昔、燃料に薪を使っていた頃には山で集めた薪を縛るためにクズのツルを用いたり、葉は牛の餌にしたりとそれなりに使い道があったものだが、今ではただの厄介者になってしまった。
 朝7時半頃から始めた作業は10時前には終了した。
2007年9月10日(月)
時代の変化 (東田上黒北)
 久しぶりに東田上の黒北へ行って見た。この辺りには人家が無いために、山道にはずいぶんと草が茂っている。
 かつて、廃家電が積まれていた場所に行ってみると、雑草に覆われた敷地との境界に、いつもは無愛想に閉じられている鉄製の扉が今日は何故か半開きのままになっていた。
 見ると、敷地に残った建物の近くに何年も放置されていた廃車のバンがなくなっている。おそらくクズ鉄として引き取られたのであろう。以前は全く引き取り手のなかった廃車や機械類がクズ鉄の価格高騰のために、今では簡単に処分できるようになってきている。
 1997年(今から10年前)が、現在のような状況ならば、おそらく、あの「 東田上廃家電騒動 」は起こらなかっただろう。 
2007年8月28日(火)
田上地区で月蝕観察できました。
今日の皆既月蝕は約6年半ぶりだそうです。
掲載写真は皆既月蝕が終わったあとの部分月蝕。なんだか薄暗いだけの皆既月蝕よりも、こちらの方がずっと絵になるようです

          (デジタルカメラ使用)
       ASA1600、1/400〜1/500
 35ミリフルサイズ換算で 1260ミリF8         
2007年8月28日(火)
クズ鉄相場高騰の余波
 田上地区から、新町橋へと続く堤防上の道には、ずいぶん前から一台の古い琴電バスが置かれていた。詳しくはわからないが20年以上前からあったような気がする。
 白と赤で彩られた、このバスは、当初は物置代わりに使用されていたようだったが、近年は錆びて崩壊寸前といった状態であった。

 ところが先月、このバスが突然、撤去されたのだ。この背景には、最近のクズ鉄相場の高騰という要因もあるようだ。
                                                                    ( 写真左は 2005年8月7日        写真右は 2004年8月1日 撮影 )
2007年8月26日(日)
東田上水源地の水路保護工事
 東田上地区の横井出用水の水源地近くの水路には部分的に脆弱な箇所がある。そのため、ここは昨年の5月に石積みなどで予備的な保護工事を施していた。しかし、今年の春以降の台風に伴う谷川の増水で、この工事箇所の下部が大きくえぐられてしまったため、今日、再び補強工事を行うことになった。

 朝、7時半頃から水利権を持つ家から総勢16人が水源地に集合し、事前に宇民さんと吉村さんが組み立てておいたワイヤーメッシュの籠(フトンカゴ)に石を詰める作業を行った。これは昨年の工事の際、余っていたものを使用し、今回は5個設置した。
 作業には重機2台が加わっていたため順調に進み、午前10時過ぎには終了し、そのまま現地で解散した。
2007年8月15日(水)
鶴雄さんの告別式
一昨日(13日)に亡くなった、東田上の藤本鶴雄さんの告別式がセレモニーホール脇町で行われた。
鶴雄さんは、村の人たちからは「 ツルやん 」と親しみを込めて呼ばれていた。

享年87歳、ご冥福をお祈りします。
2007年8月12日(日)
傳吉さんの一周忌                        観音霊場の供花                         横井出用水パイプから出てきたモノ     
 昨年夏に亡くなった藤本傳吉さんの一周忌の法要が今日行われた。
 
傳吉さんは地区の推進員を長く努め、10年前に起こった東田上廃家電騒動でも最初に陳情に動くなど村のために尽くしてくれた人だった。
 観音霊場の供花は、地区内の班が交代で行っているのだが、戸数の少ない南の班に体調を崩した人が出たために、急きょ、東の班で行うことになった。
  東田上地区は縦貫道に伴う転出などがあり、班毎の戸数にバラつきが生じてきているのだ。

 東田上地区の横井出用水の水量がなぜか激減した。
 今の時期、水田にとって水不足は一大事ということで、宇民さんや吉村さんらが水源地 から集落へと続くパイプを点検したところ、パイプ内に入り込んだ全長4.7メートルの植物の根が発見された。
2007年8月5日(日)
田上地区恒例の草刈り作業
 田上地区では、毎年、8月の第一日曜は地区総出で草刈り作業を行うことになっている。これは恒例行事なので、あえて事前に伝達や再確認といったものは一切無い。今年は、今日がその日である。

 朝8時前から田上地区の下から新町橋までの堤防沿いの道の草刈りから始める。この時期は時間と共に気温が高くなるため、なるべく涼しいうちに仕事を進めておきたいということもあってか、早い人は7時過ぎから来ているようだ。作業には東西田上地区から26人が参加した。堤防沿いの道は、2ヶ月前に一度刈っているためか、作業は早く進んだ。

 この後、西田上の岩倉城跡へ移動し、草刈り清掃を済ませた後、真楽寺の境内へ集まった。ここで休憩を兼ね、自治会長や郷土会会長からそれぞれ報告などを受けた。自治会長(藤本吉雄さん)からは地区集会場の天井部分の雨漏れによる損傷部の補修に関しての報告、郷土会会長(宇民正儀さん)からは、郷土会発足当時に制定された会則などに基づいての話があった。
 10時半頃には休憩を終えて、東田上地区の人たちは集会場へ移動し、周囲の草刈り作業を行った。11時過ぎに全ての作業を終え、集会場で休憩した後、昼過ぎに解散した。
2007年6月24日(日)
東田上(東の班)による草刈り
 昨夜からの曇り空は、明け方になってあいにく小雨になった。一時は雨のため危ぶまれたが、大雨にはなりそうも無いということで予定通り行うことになった。
 今日は焼き場谷方面の道沿いの草刈り清掃の日である。といっても昨日の午後、急に決まったのだ。朝8時過ぎから東の班の6軒、それに曽川義一さんらが出て道路わきの草を刈ったり、道路上に覆いかぶさってきて、先々通行の邪魔になりそうな木の枝を前もって切り取ったりした。今日は宇民家の健君と直君(写真左)も大きな鎌を持って手伝ってくれた。作業はおよそ3時間で終了し、道端で休憩した後、解散した。
2007年6月10日(日)
田上地区の花畑とその周辺の草取り作業
 今日は、朝8時から田上地区の下にある花畑と周辺の草取り作業を行った。東田上および西田上地区からおよそ30人が参加。ここは3月末に一度草取りを行っているので まだ2カ月ちょっとしか経過していないのだが、ずいぶんと雑草が茂ってきている。
 昨日の雨のせいで湿り気を含んだ土が靴の裏にまとわり付く。一面をびっしりと覆った丈の短い雑草は手作業では とても取りきれるものではなく、今回は草刈りだけで済ませることにした。午前9時過ぎには一応の作業は終了し、パンとジュースで休憩をとった後で解散した。
2007年5月31日(木)

今月、西田上の岩倉城址に案内看板が設置された

 新町橋から西田上の岩倉城跡に到るまでの道標に続いて、城跡についての説明板が完成した。道標は、道沿いの要所毎に数箇所設置されている。また本丸跡に設置された説明文は郷土史家の真鍋利夫さんが作成した原案を参考にしているものの、内容は大幅に簡略化されている。(以下文面)

                  岩倉城跡 所在地 徳島県美馬市脇町字田上
岩倉城は、中世に築城された阿波国西部地区を代表する城の一つです。阿波国西部の戦略的要衛である脇・岩倉点在する城館群の中核的機能を果たす城であり、最盛期には六坊を備えた広大な城域を 持っていたといわれます。代表的な城主として、三好長慶の叔父の三好康長(笑岩)が挙げられます。 正確な築城年代は不明ですが、一説によると阿波国守護の小笠原長房が文永四年(1267年)に居城していたとされていることから、古くから阿波西部の防衛拠点としての重要な役割を果たしていた城郭といえます。東の脇城とは密接な関係にあり、岩倉城と東の脇城の二城は地理的に近く相互連携することで防衛拠点機能を果たしていましたが、次第に主たる機能は脇城へと移行していきます。
現在までの地形改変により、本来の岩倉城の姿は大きく失われており、現在その痕跡が確認できるのは本丸跡と思われるこの位置のみである。

                   美馬市教育委員会
2007年5月19日(土)
東田上横井出用水路の清掃と漏水補修作業
 毎年この季節になると、東田上地区では横井出用水路の草刈りや水路の補修作業を行っている。朝8時に水利権を持つ家から一名づつ計16人が宇民家前に集合、上流の水源地側と下流側からと二手に分かれて作業を開始した。

 黒北を水源地とする横井出用水は、上水道が出来るまでは地区の飲料水としても使われていたが、現在では全て農業用水として利用されている。田上地区からは四国縦貫道工事に伴い地区外に転出していたり、また耕作をやめたりして現時点では農業用水を必要としない家も何軒かあるのだが、この作業は水利権を持つ家からは一様に出ることになっている。

 用水路沿いの山道はところどころに小さな崩れが出来ている。これを取り除いたり均したりして通路を確保してゆく。この作業はおよそ2時間位で終えたが、今年は観音堂近くの用水路の漏水補修工事も行った。何箇所かの側溝の蓋を取り外し用水路のコンクリート継ぎ目に生じた隙間をモルタルで埋めたり、溜まった泥の除去などの作業は11時半過ぎには全て完了した。作業終了後は、全員で集会場へ集まり休憩後、解散した。
2007年5月13日(日)
観音堂の草刈リ作業
 今日は、朝8時から東田上観音堂の草刈り作業を行った。東田上地区から十数名がそれぞれ鎌や草刈リ機を持って集まり、およそ1時間程で作業は完了した。今年の草刈リは例年より日程的には遅かったのだが、先月までの雨量が少なかったためか草の量はいつもの年とあまり変わらなかったように思う。
 作業終了後に、観音堂の管理人である曽川義一さんから観音堂に関しての会計報告を聞いたあと解散した。
2007年4月15日(日)
観音堂〜西国33箇所清掃作業
 東田上観音堂から焼場谷下に至る道筋には西国33箇所の石仏が置かれている。これらは、古くから この地の旧道にあったものに加え、高速道路建設時に新町坂の道筋のものを移転再配置されたものである。番外を含め、全部で35体ある。
 これらを村の人たちで定期的に花立て、周りの草刈り、清掃などを行っている。今日は朝から東の班の6軒が作業を行った。8時前からかかっておよそ2時間で完了。観音堂で休憩した後解散した。
2007年3月31日午後(土)
東田上観音堂にコンクリート製のベンチを設置

 本日の夕方、吉村浩さんと宇民さんらによって、東田上観音堂の桜の木の下にコンクリート製のベンチが設置された。吉村さんが調達したものだという。写真のようにデザインも座面がコンクリート製の擬似木で実に風景に違和感無くマッチしていてなかなかイイ感じである。ここを訪れる人の恰好の休息場となるだろう。
 設置作業はあっという間にわずか10分くらいで終了した。作業完了後、待ってましたと最初に腰を下ろした一番乗りは宇民家の直クンでした。

2007年3月31日午前(土)
田上花を咲かせる会、恒例の草取り作業

 今日は、朝から田上地区の花畑の草取り作業が行われた。ここは1〜2年前までは草花が植えられており色とりどりの花を咲かせていたのだが、苗作りから始まり頻繁に草取りや手入れが必要なこともあり高齢者にとっては作業負担が大きいということで、1年前からは桜などの樹木を植えている。後20年くらい経つと此処も桜の名所に変貌するかも知れない。

 機械の力は絶大で、吉村浩さんの操るトラクターで樹間までも見事に整えてしまった。最後に宇民さんが持参した肥料を木々の周りに施して本日の作業を終えた。

2007年3月25日(日)
田上地区の花見会
 本日、田上集会所で地区の人たちによる恒例の親睦花見会が行われた。おにぎり、焼き鳥、その他バラエティーにとんだ手作りの料理が用意された。 この日のために、ちょうど一週間前の3月18日の日曜日、あらかじめ地区の有志たちが集まって当日の料理メニューなどの打ち合わせを、そして昨日から今日にかけても早くから材料の買出しや料理作りなどいろいろと準備をしてくれている。

 観音堂の桜は、時期が少し早いために早咲き種の一本を除いてはまだ蕾状態で少し寂しい。今年の花見会は、4月に入ると知事および県議選が控えていたりしてあわただしいため、やむ終えず日程的に繰り上げて開いているからだ。

  また本日、自治会長の交代引継ぎ、八幡神社の地区総代、および田上郷土会の会長の選任も行われた。自治会長は2年間お世話になった吉田虎好さんから事前に決定していた藤本吉雄さんへと引き継がれた。神社総代も兼任してもらうこととなり、郷土会会長は多数の要望により宇民正儀さんにお願いすることになった。

 田上地区内、そして四国縦貫道のために今では地区外へ転出している人たちを含めておよそ50人が参加し楽しい春のひと時を過ごした後、観音堂を背景に全員で記念写真に収まって閉会した。
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