徳島県美馬市脇町田上地区、平和で のどかなこの地が一時期全国的に注目を集め、マスメディアで大きく取り上げられたことがあった。1997年(平成9年)、今からちょうど10年前のことである。

 東田上黒北
の山中に地元の家電量販店が客から引き取った廃家電製品を大量に野積み放置したことが騒動の発端であった。当時それらの一部はその場で焼却されたり埋められたりもしていたようであった。現場のすぐ下側の谷には東田上地区の農業用水の取水口があり、その一部は飲料水としても使用されていた。また、この用水の流域は脇町(現在は美馬市)からカスミサンショウウオの生息地として昭和56年10月に天然記念物の指定を受けていた。そういった意味でも水源地の汚染の危機は村にとっては重大な問題であった。
 この問題に対して最初に町に対して事態の改善を求め陳情を試みたのは(故)藤本 傳吉さんであった。しかし当時の行政の重い腰を動かすことまでには至らず、結果として廃家電の山は増え続けることとなった。それから2年後の1997年に当時の地区推進員(自治会長)の桜間文明さんや、曽川義一、吉村茂応、宇民正儀さんら4人の連名で田上、新町地区の住民175名の署名を綴った陳情書を作成し再度行動を起こすこととなったのである。

     ヒ  ガ  シ    タ  ネ  エ

( 徳島県美馬市脇町田上地区 )

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【背景写真は1997年3月2日撮影】

20070613   LAST UPDATE

廃家電騒動の背景と住民運動
 
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 完全撤去に至るまでの流れ  
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 あの廃家電騒動現場の現状
 
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 【マスメディアの後押し】
 この頃になると一部の新聞社のなかにも環境問題の一環として田上地区のカスミサンショウウオの生態動向やこの異様な廃家電製品の山に注目する動きも出はじめていた。そこで提出した陳情書にその報道記事を添付して提出したのである。このことが議会や行政を動かす大きな原動力になった。
 マスメディアによって大きく取り上げられるまで事態の改善を積極的に行なおうとしなかった当時の行政の姿勢にも問題はあった。
 しかしそういったことをも見越したうえで当時、こうしたマスメディアを巻き込んで彼らとの連携プレーとも見える戦略としての住民運動展開の中心的役割を果たしたのが宇民正儀さんであった。宇民さんの手元には今も、かつての騒動の推移を物語る多くの資料と共に、当時取材に訪れたテレビ局や新聞社など報道関係者の名刺が数多く残されている。
 あれから10年、当時のTV報道の録画映像を今、あらためて見てみると住民代表としてTV局のインタビューで熱く訴えていた、その宇民さんも今年で77歳になり今ではその顔に少しシワも増えてきた。

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TV局のインタビューに答える宇民さん。
(1997年10月13日)

(カスミサンショウウオ)

【騒動の概要】

一本の樹が象徴する環境汚染
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( 読売新聞夕刊 )