●2006年(平成18年)の秋祭りは、田上地区の人々にとってはいつもとは違った特別な年である。 今年は8年ぶりに田上地区に神輿がやってくるのだ。神輿を迎える家を神輿當家(ミコシトウヤ)と言
う。當家とは当家(当番家)のことであリ、次回8年先のトウヤをあらかじめクジで決めておくことになっている。そして今年は東田上地区の吉村家がトウヤに当たっているのだ。もちろん、これも8年前に行われたクジで決まったことである。
●地元の八幡神社の氏子は現在、( 田上、中谷、岩倉、新町、助松、上の原、別所、馬木 )、の8地区に分けられており、それぞれを組と言う。そして、この8組で毎年、(トウヤ)を持ちまわる事になっている。したがってそれぞれの組(地区)にとっ
ても神輿が廻ってくるのは8年に一度のことであり、さらに個々の家にまで廻って来るのは気の遠くなるような歳月を必要 とするのである。大雑把に言えば
( 地区内の戸数×8 )年に一度廻って来ることになるのだが、その歳月があまりにも長く、当然ながら現実の生活環境や習慣や人々の考え方などの変化の方が大きいわけで計算どおりにはならない。したがってこの祭りが現在と同じようなかたちで受け継がれていくかどうかはわからない。
●田上組の神輿當家の最古の記録は明治22年9月(1889年)である。その当時(およそ120年前)と現在とでは地区内の戸数も大きく減っている。田上地区は東西合わせて現在27戸であるが、当時は40戸以上あったと思われる。さらに当時とでは、急激な機械文明の発達による生活環境、思想、宗教観などあらゆることにおいて大きく変化しているわけである。それにつれて、おそらく祭りそのものも少しづつ変わってきているはずである。しかしそれでも今まで続いてきたように、多分
これからもそれぞれの時代に即したかたちに変容しながら受け継がれていくことだろう。
祭りの準備
●八幡神社の清掃
●矢来の組み立て
祭り当日
●神輿の組み立て
●祭りの儀式 -例祭式-
●神社〜御野場〜
●新町橋〜田上入り
●當家(吉村家)入り
●祝詞の奏上-昼食
●東田上休憩所
●東田上地区-御練り-
●西田上地区-御練り-
●真楽寺門前休憩所
●神輿 八幡神社へ帰着
●祭りの終り-當家開き-
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20061118 LAST UP DATE20091211
ミ コ シ ト ウ ヤ
( 2006年10月1日〜2006年10月8日 )
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