photo by  Satoru Fujimoto

 古くから日本の山間部の集落の多くは似たような地形や条件を持つ地域に形成されるためか、それぞれの集落が異なっても、その風景には、どことなく共通した懐かしさのようなものを感じることが少なくない。それは、おそらく日本の山村の原風景に近いものを持っているからであろう。嘗て私が足を踏み入れた滝畑地区もそのような感覚を懐かせる集落であった。
 大阪府河内長野市滝畑地区は、大和川水系の石川に沿って出来た集落である。1967年に着手され1981年に竣工された滝畑ダム(多目的ダム)のために、地区の多くの部分はダム湖の底に呑み込まれてしまった。

 私が滝畑を撮影したのは昭和52年1月9日(1977年)、今を遡ること31年前のことである。その日がちょうど休日だったこともあってか、工事関係者の姿もほとんど見られなかったように思う。
 長年にわたるダム工事も終盤に近づき、水没予定地の人々は水没補償を受け移転を済ませ無人と化し壊れかかった廃墟が点在する荒涼とした風景が目の前に拡がっていた。それは、消えてしまう運命にあるものの持つ特有の儚さが創り出した景色であった。

  (水没補償  家屋79戸 田畑 20.4ha 宅地 6.3ha 山林 19.6ha その他 6.2ha)























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