photo by  Satoru Fujimoto
 1973年(昭和48年)、一台のペンタックスを首からぶら下げた私は、京浜工業地帯の一画を歩いていた。ノラ犬のように徘徊していたと言う方が合っているかもしれなかった。当時の人には粋狂者(物好き)と映っていたのかもしれないが、今の時代であれば、どう見ても不審者である。
 私がこの一帯を、撮り始めたのには これと言って深い意味は無い。この地が醸し出す一種独特な雰囲気の中にフォトジェニックなものを感じたという、ただそれだけの理由であった。

 当時、京浜工業地帯は工場群から排出される煙や車の排気ガスが混じりあい、特に川崎の大気汚染は深刻であった。当時の産業道路は朝夕には慢性的に渋滞していて高架上を行くノロノロ運転の大型ディーゼル車からは窒素酸化物(NOx)がそこに住む人々の生活圏にも頭上から注がれていた。海や川の汚染も酷く、多摩川や鶴見川なども流入する生活排水や工場排水のために、場所によっては風に煽られた白い泡が水面からフワフワと舞上がる光景が見られた。
 その後、浄水施設が充実されるに伴い、多摩川などでは、水質改善が進み鮭の遡上が確認されるまでになっている。川崎の大気汚染も、排ガス規制などによりピーク時よりは多少は改善されているようだ

 35年が過ぎた今、あらためて当時撮影した写真を見てみると、画面上の迫力を狙ってアップ気味にフレーミングした写真は、時が経つに連れ、例外なく陳腐化し、むしろ、ただ何気なく撮ったロングショットの風景写真の方が今では妙に新鮮に見えたりもする。写真上の小手先の作意などは結局は、それを見抜けぬ者に対しては一時の目新しさということでインパクトになり得たとしても、当然のことだが撮影者自身に対しては全く違ったモノであるのだ。
 時の流れは、あたかも、水流に身を任せる石ころのように、あらゆる余分なモノを削ぎ落とし、シンプルな姿に変えて見せてくれる。思い入れや情熱というものさえも風化させてしまうことがある。
 今になって、当時何気なく、ただシャッターを押したような、ほとんど記憶に残っていないような写真の中に新鮮味を見出せることがあるとすれば、それはその写真に、ことさら作意や思い入れといったようなメンタルなものが希薄だったことによると思う。新たな出会いに近いものがあるからではなかろうか。とはいえ、こうしてこれら一群の写真を眺めてみると、まぎれも無く 銀粒子に置き換えられた≪過ぎ去った昭和の光≫の名残りであることには違いない。

                (  PENTAX SP  ,  SPF     smc takumar 24mmf3.5 , 35mmf2 ,105mmf2.8      NEOPAN SSS  ,  TRI X  )

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