東田上観音堂の四季
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■ 東田上観音堂について

 現在の観音堂は1996年(平成8年)に再建されたものである。四国縦貫道工事に伴い観音堂の敷地の一部が用地として買い上げられることになり、これを再建費用とした。しかし、観音堂の敷地は多くの人たちの共同所有であったため相続人たちからそれぞれの持分の土地売却金の寄付をお願いするということになった。かつての名義人の相続者の大半は田上地区の在住者であったが、すでに村を出て疎遠になっている人もいたり、世代が替わり相続人が更に細分化されているケースも多くあり、当初、僅か27名であった相続関係者はなんと278名にまで膨らんでいたのである。その膨大な相続手続きは全て公団が代行して行ってくれた。そして多くの人たちの協力により再建に至ったのである。

  郷土史家、真鍋利夫さん執筆の(岩倉城址考1997年))によると、1267年(文永4年)に小笠原長房が岩倉城を築いた際に配置された六坊のひとつが観音坊(東の出城)であり、後の戦で消失。その後1626年(寛永3年)に真楽寺中興初代・快秀上人によって東田上観音堂が再興され、以後、現在に至るまでおよそ400年近く経つが、この間に補修、改修を繰り返しながら推定2回ほどは新築再建されているようだという。そして直近の1996年の再建がおそらく3度目になるわけである。

 再建工事は1996年の夏に着工(棟梁は西田上地区の新田賢一さん)。同年10月14日に小雨の降りしきる中、上棟式が行われた。工事は年末には、ほぼ完了し、年明けには落慶法要が営まれた。

           (写真右上は、 完成直後の観音堂 、      写真右下は1996年10月14日の上棟式 )


■ 懐かしの風景 ( 旧観音堂 )

(左)は1996年(平成8年)当時の旧観音堂のある風景。現在の観音堂に建て替えられる少し前である。この頃には建物はかなり傷んでいて正面にせり出した瓦などは今にも落ちそうに見えた。

(右)の写真は1991年(平成3年)の夏。観音堂の横の民家風の建物は当時の地区集会場である。


■ 東田上観音堂に関する資料文献

 東田上観音堂に関する資料としては、1981年3月(昭和56年)に田上郷土会から刊行された『郷土の記録 第二号 観世音霊場 』という小冊子がある。当時の郷土会会長であった真鍋利夫さんが執筆したものである。
真鍋さんは、その後、1997年(平成9年)に『岩倉城址考』という冊子を出しているが、その中にも《東田上観音堂の由来》についての詳しい記述がある。いずれも小冊子ではあるが、国立国会図書館にも納本されているようである。
  尚、1984年(昭和59年)には、(故)藤本孟雄さんが、謄写版刷り、ホッチキス留めの小冊子『観音堂』を作成し各戸に配布している。


■ 観音堂の利用状況

 現在、東田上地区では毎月17日に、観音講が行われている。毎回、2軒が順番に清掃やお茶菓子の用意など(接待)をすることになっている。参加者はほとんどが高齢者だが、日頃、娯楽の少ないお年寄りたちにとって数少ない楽しみになっているようである。また、1987年から春と秋に真楽寺住職先導で町内の『観音霊場めぐり』が行われている

それ以外には、観音堂では、春の花見会などが行われるくらいであるが、2005年秋には、薬草研究会の主催によるイベントが行われ、青木裕さんらによる民族音楽などの『藍愛コンサート』が催されたりもした。
(写真は2005年11月20日に行われたミニコンサート風景)
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